2019年11月8日金曜日

脳細胞は揺らいでいる 推敲 3


これを書いている間に、大阪で先日あったG20のことが思い出される。19か国の首脳とEUの代表が一堂に会し、お互いに行き来をして公式に、非公式に話し合いが行われていく。そこには思わぬ出会いや計画されなかった会話が成立するだろう。そして予想しなかった動き、たとえばトランプさんが急に北朝鮮に飛ぶ、という事まで決まってしまう(実際には水面下ですでにそうなっていたのかもしれないが。)
神経の活動も、個々の細胞が決して休まることはなく、そこでは思いがけない結びつきが生まれたり、あまり注目を浴びなかった結びつきが徐々に失われて行ったりする。そしてこの個々の細胞の活動を少し強引に二次元平面に落とし込むと、揺らぎ、という形で表現されるというわけだ。
この脳細胞の揺らぎの説を唱えた池谷氏は、脳とは何か、心とは何か、というテーマに関して、並々ならぬ洞察を示している。その中でも最も特徴的と言えるのが、彼の「非再現性」の理論である。彼は脳細胞の自発活動は永久的な安定性や平衡性はないのではないかと考えたという。つまり自発活動は安定な状態ではあっても、常に一回だけのものなのだ。彼はこれを「非エルゴート的」と表現する。エルゴート的、ないしエルゴート理論というのはかなり込み入っていて、私も含めた科学の専門でない人間にはかなり難解である。私も少し調べてチンプンカンプンであった。そこでここでは一回性という意味を含んでいる、ということだけ理解しておこう。
ちなみにこのエルゴート的という視点は、科学者の中では非常に人気がないという。ある現象を研究し、そこに何らかの普遍性を見出さない限り、科学には意味がないだろうと凡人は考える。ところが池谷氏は堂々とこれを主張し、それを科学の研究対象にしようという。これは何を意味するのだろうか?
そのために話を揺らぎに戻そう。脳細胞は揺らいでいる。細かい揺らぎを持った電気信号が観測される。表面上はギザギザで規則性があるようなないような、しかしまったくデタラメではない、まさに揺らいだ状態としか表現できないような動きを示す。つまりそれは繰り返さず、再現性もなく、すなわち一回的なのだ。
ちなみにこの一回性という現象、カオスについての項目をお読みになった方にはむしろ当然のように思えるだろう。難しい例を出すまでもない。風にはためく日の丸の旗を思い浮かべよう。その動きを何十時間ビデオにとっても、決してまったく動きを繰り返すことはない。どの瞬間をとっても一回性が見られる。たとえ全く同じ画像が取れても、次の瞬間に生じる旗の動きは微妙に、あるいは明らかに異なるわけだ。しかし皆さんはこう指摘されるまではおそらく「未来永劫、旗が同じはためき方を繰り返さない」という事をまともに信じようとするだろうか。
この様に一回性は私たちの日常感覚には馴染まないところがある。どこかに究極の動かすことのできない真理があると信じたい。しかしたとえ物理法則自体は動かなくても、それに従って動いている自然はことごとくカオス的な振る舞いをし、再現性を持たない。そしてそれを認めることに私たちは抵抗する。ましてや心の専門である私たちがこれを受け入れることは、心の示す典型的な病理や、夢や、あるいは各個人のパーソナリティはすべて幻想だ、という事になりかねないので顔を背けたくなるのだ。しかしすべての人間が他と全く異なり、各個人が人と会い、そこで考えたり発言したりする仕方は毎回全く異なり、そこには常に再現性がないと知ったなら、もう臨床など辞めたくなってしまってもおかしくないだろう。

ところでこのアイドリング状態の脳の活動は、一時はいわゆる「デフォルトモード」と関連付けられていたという。つまり何か特定のことを考えていない時、ボーっと物思いにふけっている時の脳の状態に特徴的だと思われていのだ。しかし麻酔をかけて意識を無くしたチンパンジーの脳にも同じ揺らぎが見られるという事が分かり(池谷)これは内省という高次の脳の活動というよりももっと基本的な神経細胞の本質に根差しているものではないかという事が分かったという。