2019年5月14日火曜日

AIと精神療法 ⑤

ワンちゃんでさえ・・・・
 さて、今度は精神療法の会話以外の部分の話だ。これに関して何人かのクライエントさんからの話を合成してみる。ざっとこんな話だ。

ウチのワンちゃんは私のことをみんな分かってくれる。別居中の夫がいるが、彼よりはるかに私のことを理解してくれるのだ。普段は家に帰ると玄関に走ってきて、私に抱き着いてペロペロなめてくれる。でも私が落ち込んでいる時はそれも分かってくれているようで、心配そうに私を眺める。とにかくワンちゃんがいることで、私は一人暮らしでも平気だ。もう家族の一人、というよりそれ以上の存在だ・・・・。

さてこのワンちゃんは精神療法をしているのだろうか。もちろん「精神療法とはそんなもんじゃない!」という頑固な人もいるだろうが、私としては当然(一種の)精神療法をしている、と言いたい。というよりこれまでの話の流れからわかるだろうが、精神療法とはいろいろな機能の総称というところがあるので、このワンちゃんも言語的な交流以外の機能の一つをになう可能性があるのだ。ただしこのワンちゃんは、精神療法のある本質的な部分を担っていることになると言える。そう、ある意味では本質部分だ。そしてこの本質部分は実はAIは決して担うことが出来ない可能性があるとも言えそうだ。それは心を持っていて、そして自分に愛情を向ける存在となることだ。そしてここが大事なのだが、その存在は言葉を交わし合う必然性は必ずしもないのである。
もし精神療法の機能の一部が、気持ちを分かってくれることであるならば、このワンちゃんの存在は実は下手な人間のパートナーに勝ってしまうだろう。ということはAIには決して真似が出来ないという結論になりそうだが、実はそうも言えないところが複雑なところだ。次のような例もある。どこかでこんな話を読んだ。
「彼女は私の帰りをどんなに遅くなっても待ってくれている。そして私の話をどんなに長時間でも、飽きることなく聞いてくれる。彼女はいつも変わることなく美しい笑顔を浮かべていてくれる。私は彼女をお墓の中にも連れて行きたい…」
実はこの人の言う彼女はいわゆるラブドール、昔でいうダッチワイフ、精巧な風船人形である。
「彼女」はいつでも目をパッチリあけて微笑んでくれている。夜が更けても眠くなって横になることなどあり得ない。いつでもご主人様を受け入れてくれる。そして彼はそこに心を投影する。すると彼女が、生きた彼女がそこに登場するのだ。ましてやラブドールを着たAI,マツコロイドのようなロボットなら効果は抜群ではないか。そう、特定の人にとってはAIは良きパートナーになるという結論はある意味ではすでに出ているとも言えそうだ。
ただしこれは特別人形に思い入れが強く、会話さえ可能な人にとってだけ意味があると考えるべきであろう。