2014年9月17日水曜日

治療者の自己開示(3)

自己開示についての過去の文章を見直しながらブログにしているのだが、この問題私の中に新たに湧き出すテーマが見えてこない。20年前に書いた論文はどれも当たり前のように映り、しかもあまり面白くない。そんなことを言うと、書いたその頃の自分に申し訳ないが。

3 臨床例

 私が自己開示にこだわるのは、それが治療的に意味があると思えるからだ。それが役に立たないのでは初めからこの問題に関心がわかないだろう。治療者はやはり自分を示した時にインパクトを与えることがある。ただそれと同時に普段は示さないことにも意味がある。普段は見えない対象が姿を現すことに実は非常に大きな意味があるわけだ。
そこで私がまずはじめに出した例。これはすでにこのブログでもふれたメニンガーでのケースだ。
1)臨床例B(効果をあらかじめ予想していなかった自己開示例)
 はじめの例は、私がその効果を意図せず自分の個人的な情報を伝えたところ、患者がそれに反応したという例である。Bは当時21才の白人男性で、重症の境界人格障害の入院患者である。私は精神療法家として週2回の精神療法を担当し、それについてのスーパービジョンを週1回受けていた。Bは病棟で多くの制限を与えてくる病棟医に対する激しい怒りと衝動的行為、病棟での他の患者を煽動する動きが目立った。しかしその一方では、慢性的な空虚感と抑欝気分に苦しんでいた。予備面接の第一回目にBと対面した私は、まず自己紹介として、自分が精神科のレジデントであること、国籍は日本であることの二つを告げた。これはその当時私が担当するどの患者にも初対面の時に行なっていた自己紹介であった。(ちなみにこの件についてはスーパーパイザーとの間で話し合われ、この程度の自己紹介は初対面の患者を精神療法に導入するに当たっての適切な配慮ということで意見が一致していた。)その後4回の予備面接を経て患者と私は精神療法の契約を結んだ。その次の回の面接で、Bは私と会うことを非常に価値あるものと感じている、と述べた。その理由として私には親しみを感じる、どこか理解してもらっていると感じて話しやすいと言い、それは病棟医のX医師に感じる冷たさや観察されている様な感じと違う、と述べた。そして次のように言った。
 「私ははじめて先生に会った時、正直言って驚さました。あなたがまず自己紹介をしたからです。それで自由に自分の心を打明けられると思いました。私のこれまでの治療者も、薬物療法担当のX医師も、決して自分のことを進んで漏らしたことがありません。それが非常に腹が立っていたのです。」このBの言葉に私の方も驚いたが、それは私のちょっとした自己紹介がこれほどまでの影響をBに与えることを予想していなかったからである。しかも私はその第一回目以外には一切自分の個人的な情報や感情を明かしていなかった。Bがスタッフ達についてのゴシップに非常に興味を示していることは、予備面接での連想内容から明らかだった。そこで以後私との転移関係の中で、Bが次々と私のプライバシーをあばきだそうとしてくる、という空想を私は持った。
Bはその後経済的な事情で止むを得ず退院して故郷に帰ったが、私との20回余りのセッションで彼が私のプライバシーについて執拗に探ってくる傾向はみられず、私への陽性転移もまだ穏やかなままで治療が中断した。治療場面では何でも買い与えてくれたものの情緒的な表現が少なかったという両親のことが多く語られた。この症例は短期に終わってしまい、そのおそらく波乱に満ちたものになったはずの転移関係の行方を確かめられなかった。しかし患者の治療者に対する陽性転移が治療者の簡単な自己開示を切っ掛けにかなり早めに成立した事情を物語り、その意味するところは大きかった。

2)臨床例C(精神療法において私が意図的に感情を語った例)

 次は、私が支持的な精神療法において治療者として私の感情を語った例である。50歳の白人男性患者Cは、数年来生理学の教授を勤めていたが、休業して自分の人生をもういちど考え直したいとのことで、ある私立の精神科病院に入院して来た。入院時のCの診断は抑欝神経症であり、彼はここ数年間慢性的な抑欝気分に悩まされ、研究においても行き詰まりの状況であることも明らかにされた。
私はCの入院直後から6箇月間、週一回の精神療法を行なった。私が初診時に得た所見は、自罰傾向を伴った強迫性格、孤立傾向、そしてそれに関連した慢性的な抑鬱気分であった。
Cは極めて頑固一徹で、自分の好みやスタイルに合わない事柄や人に従うことに頑強に抵抗を示す一方で、深刻な孤独感を内に抱えていた。病棟ではその諸規則が肌に合わないといっては、それを要求するスタッフを次々と糾弾した。Cはまた自己欺瞞を嫌い、きわめて率直で、これと決めたことには全力で守り通すといった、頑固一徹な性格をも有していた。Cがいわゆる表出的精神療法に理解を示さない様子ははじめから見てとれ、私は各セッションごとにかなり支持的かつ積極的な介入を行なうことを心掛けた。私はCが自分の主義をかたくなに守り、少しでも自分の主義に添わない他人を許せないこと、それにより常に孤立してしまう、ということを繰り返してきた彼の人生について、その認識を促すことを目的とした。その作業の中でCは私に明らかな陽性感情を向けるようになり、病棟の主治医のY医師への陰性感情との対照的な関係が患者のスプリッテイングを表わす、としてスタッフ・ミーティングの話題に時々取り上げられた。
 さて少し前起きが長くなったが、私は彼とのやり取りの中で幾度か私の感情を語った。それはいずれも驚き、意外さ、当惑、緊張感といった、「中性的」な感情(後に解説する)であった。その一例をここで紹介してみる。治療を始めてほぼ4箇月日のあるセッションで、患者は首尾一貫性、ということについて話していた。Cは、看護人が彼を院内活動に同伴していく時間がいつも少し遅れる、病棟のY医師には一貫した治療方針というものが感じらられないし、そこには誠実な態度が見られないのに、そのことを認めようとしない、それは結局は自己擬慢だ、と興奮気味に話した。私はこのCの話と、一方で彼がいつも回りから孤立してしまい寂しい想いをするという事実との関連付けをはかった。「あなたの不満はある程度わかる気がしますよ。」と私はまず言い、さらに続けて、「たとえばあなたの方がいつも時間を守って、時間にルーズな他の人にいつもいらいらさせられ続けているのは考えてみれば割りが合わないのかも知れないですね。しかしあなただけが時間を守り続け、他人にもそうすることを望んでも、結局あなたは損な立場になるでしょう。なぜならきっとあなた以外の人の99%は、あなたより時間にルーズなんですから。」と述べた。患者は黙って私の言葉を聞いていた。私は続けて「そういえばね、私も今朝来る途中でもし車の故障か何かでこの8時半からのあなたとの面接に時間どおりに来れないとしたらあなたはどういう風に感じるだろう、と思ったら緊張しましたよ。あなたの面接には絶対遅れられないな、という気持ちがしたんですよ。」患者はこの私の発言に対して「なるほど、そうですか・・・・。」とうなずき、その意味を頭の中で反芻する様に、何度かうなづいた。私はCが私から糾弾されたという気持ちを抱いたかどうかに関心があったが、Cにそのような反応は見られなかった。
 その後、病棟ではCのスタッフに対する糾弾が徐々に弱まっていった。私自身にもこの話題について話した後は、彼との面接に遅れてはならない、という緊張が少し薄れるという変化が起きた。数箇月後私の事情で治療が終結したとき、Cは次のようなことを私に伝えて去って行った。「あなたは私の行動に価値判断を持ちこむことなく、しかも同時にいくつもの貴重なフィードバックを与えてくれました。ありがとう。」どうやら私が行なった、私自身の彼に対する緊張感の自己開示も、Cにとっては私のプライバシーの公開や彼に対する直接の批判とは聞こえず、むしろ私からの幾つかの「フイードバック」のひとつだったようである。

 私はCに対して行なった介入について次のように自分なりに整理してみた。まず自分の「緊張」を話した時点では、実は私はもうさほど「緊張」してはいなかった。緊張したのは、正確にいえばその面接を開始するしばらく前、つまりそれを口にした数十分前であり、私はそのことを彼の話を聞いて思い出し、それを面接の中で使えるような気がしたのである。その意味ではこれは私のの感情を伝えたというわけではない。それは私が私の気持ちを客観視して、まるでひとごとのように述べたものであり、ある意味では私の中立性に守られた言葉ともいえた。