2014年5月8日木曜日

現代における夢理論(5)

最近朝晩の気温も穏やかで、いい季節だ。
しかしそれにしても北海道の事件、どうなっているのだろう。捕まったあの女性は誤認逮捕なのだろうか? 


論文の最後に、ある夢の例が出てくる。フォサーギ先生が報告して、そのあとクライン派とコフート派のふたりの有名な先生がコメントをしたそうだ。これを少し書いておこう。
かつて先生にはジェシカという患者さんがいたという。長年うつ状態に苦しんでいたが、分析のプロセスの中で徐々に回復していったという。あるセッションで、先生には心配事があり、顔色が悪かった。するとジェシカはそれを目ざとく発見して、「死にかけた老人」という印象を持ったという。(セッション中の自由連想でそんなことを言ったのかどうかは不明である。論文ではぼかしてある。患者の立場としてはなかなか言える内容ではないが。)そのイメージはジェシカの父親を表していたらしい。その父親はジェシカが子供の頃長くうつ状態を病んでいたという。
そしてジェシカはその夜見た夢を報告した。
私が霊安室に呼ばれると、叔父の遺体が横たわっていた。しかしその死体は痛みにのたうち回っていた。彼の横には私のふたりの姉が膝まづいていた。彼らも固まって死んだようだった。私ははじめ叔父の痛みをとってあげようと、声をかけたが、何も効果が無かった。私は絶望的な気持ちになった。私はそこを去らなくてはならなかった。
ジェシカは、自分自身のこの夢をフォサーギ先生の不安そうな顔と直ちに結びつけ、不安そうな人を見るのは耐えられない、と語った。という。

この報告を読んだクライン派の分析家は、「この夢は患者の持つ攻撃性を意味している」と解釈したという。ジェシカがこの男を苦しめているのであり、彼女はそれに直面しているという。これについてフォサーギ先生は、「夢の中で患者がこの男性を苦しめているという手がかりは一切得られない」と論駁する。次にコフート派の先生の解釈。「夢は患者のうつ状態を表している」と言ったという。しかしフォサーギ先生にしてみれば、「夢の中に患者が自分のうつを投影しているという証拠は何もない」というわけで、とこれも退ける。
 さてフォサーギ先生自身の解釈が最後に述べられている。「この夢は、抑うつ状態にある他者に対するstruggle である。(struggle は訳しにくいが、葛藤、苦しみ、というニュアンスだ。)ポイントは、彼女が「私はそこを去らなければならなかった」と言っているところだそうだ。それは彼女が姉たちのように父親のもとにとどまって固まって死んだようになっていたのではなく、父親のもとを去る必要があったことを意味していたのである、という。