2014年4月7日月曜日

続・解離の治療論(24)


黒幕人格は最終的に扱わなくてはならないのか?
私のこの議論を推し進めていくと、ある種の結論が伺えるかもしれない。それは「黒幕人格は所詮扱うことはできないから、放っておけばいい。」
しかしこれではまったく治療論としては不十分であるし、不正確ですらある。この種の答えは常に相対的で、状況依存的である。ひとことで言い切れるような答えは、それだけでも間違っている可能性が高い、と言い切っていい。
 黒幕人格を扱うべきかどうか、という議論は、ある意味で子供人格をどうするか、という話をつながっているのだ。それはひとことで言えば実に当たり前な議論になってしまう。つまり扱う必要があれば扱う。そうでなければお引取り戴く。「寝た子は起こすな」「起きた子はあやして寝てもらう」は結局は黒幕人格でも当てはまる。
 ただし起きた子を簡単にはあやせないという治療者の側の事情がある。子供人格の例であれば、子供のあやし方がわからない人は、誰かに変わってもらったほうがいいかもしれないだろう。まあ子供をあやし間違えたからといって、どちらかが被害を被るということはないからいいだろうが、黒幕人格は、扱い方を間違えれば、種としてこちらが、そして主人格が被害を被ることになる。だから不用意には扱えないという可能性が高いという議論になるのだ。
黒幕人格の扱いについてのひとつの指針は、今述べた「扱う必要がある場合には扱う」というある意味でトートロジカルなものであるが、もうひとつはトラウマ理論に準拠し、一体化したものであるというものである。トラウマ治療ではこの黒幕人格の処遇に相当する大きな問題がある。それは深刻なトラウマ記憶をどのように扱うかという問題である。
トラウマの治療において主として幼少時、時には成長してから生じたトラウマをいかに扱うかは、ひとつの重要な問題である。深刻なトラウマ記憶はしばしば長期にわたって本人にも自覚されないような形で影響力を及ぼす。時にはそれは眠ったままで当人にとって大きな影響力を与えずに過ぎる。(ただし大きな影響力が及ばないという判断自体が誤りかもしれない。それは抑うつや不安、あるいはさまざまな身体的な症状として本人を苦しめている可能性があるのだ。)