2012年10月5日金曜日

第9章 DBS(脳深部刺激)への期待 (1)

 もう10年ほど前、あるテレビのドキュメンタリーに釘付けになってしまった。ある男性が見るからにロボットのように固まった体で座っている。ほとんど口をきけない状態だ。しかし体につけた装置のスイッチを押すと、うそのように体がやわらかくなり、普通の話し方になる。そしてまたスイッチを切ると、再びカチカチに固まってしまう・・・・。
 ドキュメンタリーではそれまで重症のパーキンソン病に苦しんでいたその男性が、その装置を身につけたことで乗馬もできるようになったというシーンを映し出していた。私はそれまでDBS(脳深部刺激)という治療法については精神科医として常識の範囲で聞き及んでいただけであったが、それがはじめてその驚くべき効果を映像を通して目にした瞬間だった。

その後に別の番組で、今度はうつ病の患者が同じようにDBSにより、それこそスイッチのオン、オフのように症状が回復するのを見る機会があった。うつ病といえばまさに精神科領域である。精神科医としてはこれを知らないわけには行かない。
DBSとは脳の奥深く電極を差し込んで、電気刺激を与えるという治療手段である。考えようによっては、これほど野蛮な治療はないと読者はお考えかもしれない。それはそうである。脳とはおそらく身体の中でもっとも精密で繊細な臓器である。そこによりによって長い針を突き刺すのである!!「そもそも痛くないのか?出血は???」「そんなことをしたら、心はどうなっちゃうのだろうか?気を失ってしまうのではないか?」
 ただし幸いなことに脳の実質は痛みを感じない。頭痛は脳の血管や髄膜が刺激されたときの痛みであり、脳ミソそのものが痛みを感じることはないのだ。術中もその後もほとんど日常生活に変化はないだろう。それにDBSが可能になったのは、最近のMRIとかCTとかのテクノロジーの進歩によるものだ。一人ひとりの脳について、そのどこにどの部分が位置しているかの3次元マップがかなり正確に作れるようになった。するとどの方向にどれだけの長さで針をさすことで、どこに到達するかということがわかるようになったのである。

発端はオールズの実験
 ところで脳深部刺激の話になると、やはりオールズの実験にさかのぼらなくてはならない。しかしこれは快感中枢の問題にも関係しているテーマだ。私自身そちらに流されないようにしなくてはならない。ちなみに私が以下の記載の参考にするのは、「脳が『生きがい』を感じるとき」(グレゴリーバーンズ (), 野中香方子 (),日本放送出版協会、2006年)の助けがあるからであるが、このテーマでは最良の書と言える。
 オールズの実験は、多くの心理士にとってはおなじみである。ラットの脳に電極を差し、快感中枢を刺激したら、ラットは死ぬまでそこを刺激するバーを押し続けた、という例の実験である。おそらくこの実験が革命的であったことは間違いない。それまでどうやら脳というのは、そのどの部分を刺激しても不快感しか生まず、ネズミはそれを回避する傾向にあるというのが常識であったという。
 この実験が行われたのは1952年というから、もう半世紀も前のことである。若く野心的な心理学の研究者ジム・オールズは、動物の動機づけを知る上で、網様体賦活系というところを刺激することを考えていた。そしてその部分に電極を差したつもりになっていた。そしてラットの反応を見ていると、どうやらその刺激を欲していることをうかがわせる行動を見せた。そこでラットをスキナーボックスに入れてみた。スキナーボックスとは、様々なレバーや信号や、それによる報酬を与える仕掛けが備わっていて、中に小動物を入れてその反応を観察する実験用の箱である。そこでレバーを押すとラットの脳の該当部位に信号が流れるようにした。すると・・・・ラットは一時間に2000回という記録的な頻度でレバーを押すようになったのである。
 さてここまで書くと、きっとニヤッとした人はいると思う。「では私の脳にも電極を・・・・」という人がいてもおかしくない。その気持ちは私にもわかる。