「コンセンサス」が海外の文献にみられないのはなぜだろうか? 一般に海外の文献では精神分析的精神療法と精神分析プロパーを質的に異なるものと考えるよりは、後者を前者の特殊例(前者を後者の、ではない!!)と見るというニュアンスさえ感じられる(岡野、2023)。 そのような考え方に至る経緯をいわゆるメニンガーの60年~70年代の「精神療法リサーチプロジェクト(PRP)」にみることが出来る。そこでは42人の患者を精神分析プロパーと精神療法に分け、後者を表出的療法、支持的療法として分けて詳細な研究が行われたが、そこでは精神分析で開始した22名の患者のうち比較的分析手法が最後まで守られたのはたったの10名ということになった。(残りの12人は分析を続けられず、精神療法に移ったのだ。) もちろん正式な分析に残った12人においては、ヒアアンドナウの転移解釈が最も重要なテクニックとして用いられた。 しかしそれらの12人の治療は時と場合に応じて、極めて支持的な手段である入院を併用していた。その研究成果をまとめてWallerstein は、「[精神分析においても]ヒアアンドナウの転移解釈のみが治療効果を発揮したとは言わず、表出的な側面と支持的な側面が複合的に働いた」と結論付ける。 そして議論はむしろ精神分析が受けられない(経済的な意味で、あるいは患者にとって適切でないという意味で)ケースの治療に重点を置かざるを得ず、そこでは表出的か、支持的か、あるいはその両方かがその主たるテーマとなったのである。言葉を変えれば、「週一回」のケースにおいて、どこまでヒアアンドナウの転移解釈のみで有効なのかが問題となっている。決してこれまで述べた日本における「コンセンサス」、つまり「週一回ではヒアアンドナウの転移解釈は無理である」という理解は最初からなされていなかったのだ。さもなくば「精神分析か、支持療法か」という選択肢しかなくなってしまうからである。別言するならば表出的精神療法という存在そのものが、「コンセンサス」の否定の上に成り立っていたのだ。
むろん米国において変容惹起性解釈の議論がなかったわけではない。それどころか Strachey により提唱された転移解釈の重要性についての議論は、1970年代のGill の「ヒアアンドナウ」のそれについての議論として「新たな活力を得た」(Wallerstein p.700)のであり、「ヒアアンドナウの転移解釈こそが絶対的に主要な技法である」という Gill の提言は、メニンガーのリサーチ(PRP)における「信条 credo」でさえあったという(Wallerstein p.55)。PRPでリーダーシップをとった Kernberg も、ヒアアンドナウのネガティブな転移の解釈こそが治療にとって有効であると主張していたことも大きく影響していた。ちなみに彼は、それをしない支持療法は効果がないとまで言った。この大御所(現在96歳!)は今でもその考えを貫き通している!
しかしPRPでも結局は「あらゆる手法は支持的な側に流れた」というプロセスの中で、この「信条」は徐々に支持を失ったという感があるのである。また「ヒアアンドナウだけでなく過去の出来事にも同様の重要性を見出すべきである」という Leo Stone の主張(1981)もこの流れの追い風になったらしい。
このPRPの流れ全体から言えることは、精神分析におけるヒアアンドナウの転移解釈の唯一絶対性は結局証明されず、治療はそれぞれ独自であり、解釈による洞察とともに様々な支持的な要素が入り混じった複雑なプロセスが働いているということが示されたのである。私はこれは米国の精神分析における治癒機序の議論の大きなターニングポイントであったと理解している。