もう一つの Flanders の論文も読んでみる。
Flanders JL, Leo V, Paquette D, Pihl RO, Séguin JR. Rough-and-tumble play and the regulation of aggression: an observational study of father-child play dyads. Aggress Behav. 2009 Jul-Aug;35(4):285-95.
この研究では特に父親と子供の間のRTPについて論じている。この論文でも、従来はRTPは自己統制に貢献するということが示唆されていたが、それについて改めて検証をするという意味では、Veiga の論文に似ている。この研究では2歳から6歳までの家での親子のじゃれ合いについて、85のケースについて調べたという。そして父親が優勢でない場合には、子供の暴力に結びついているという結果を伝えている。
これを読んでいて、いろいろな疑問がわいてきた。動物にみられるじゃれ合いでは、追っかける方と追っかけられる方が交互にチェンジするのが理想ということだった。もしそうだとすると、父子の場合も平等が原則ではないかと思うのだが、それではだめで、父親が優勢でなくてはならないということになる。この矛盾はどこから来るのだろうか。
結局私はRTPにはグラデーションが存在するのではないかと考える。つまり母子の間で起きるような初期のじゃれ合いは愛着の形成に関与し、勿論平等である。しかし子供が成長するにつれて、RTPは父と子の権力争いに似た様相を呈するのではないか。つまりplay としての意味が薄れてくるわけである。そして父子のじゃれ合いは本気度を増していく。私の知っているケースでは、たとえば中学2年の息子と父親の争いはかなり熾烈である。時には本格的な殴り合いのレベルに踏み込んでいるのである。そして明らかに父親が力で息子を抑えるということでようやくバランスが取れているように思える。と言うか父親は劣勢になった時点で子供をコントロールする力を半ば失い、RTPを放棄してしまうのが通例である。その意味では Veiga や Flanders の研究結果は至極もっともと言う気がするのである。
しかし一歩間違えれば、父が優勢な深刻なじゃれ合いは虐待になってしまいかねない。そう、じゃれ合いの議論は遊びと虐待の間の微妙な領域に私たちを誘い込む可能性が有るのだ。