2025年5月28日水曜日

週一回 その7

 ところで精神療法と精神分析に関しては、国際精神分析誌の第91号(2010年)に「精神分析の実践は精神療法といかに異なるか?」というテーマで3人の討論者が寄稿している。米国のFred Busch, ドイツのHorst Kächele, フランスからはDaniel Widlöcherが著者となっている。彼らによる議論は多岐にわたっているものの、転移解釈の持つ意味という文脈ではほとんど語られていないという印象がある。Blass がこの特集の序文で述べているように、フロイトが精神分析とは異なるものとしてとらえた「精神療法」は解釈という純金 pure gold に示唆 suggestion という混ざりものを加えたものという意味であり、そこに面接の頻度による違いという強調点は薄い。週4回でも示唆を加えたものはもう精神分析ではないという意味での「精神療法」だったのである。その上で現代の精神分析においては、精神分析を受ける人が減り、精神療法に流れるという傾向に照らして、「いかに精神療法が精神分析的か」という、わが国のコンセンサスとは逆を行く方針がとられていることを印象付けられる。  私たちの議論に一番身近な Busch が述べるのは、最近の精神分析のあるべき姿として、無意識よりはより前意識的で患者に直接見えるもの、(すなわちヒアアンドナウ)を扱うという流れがあるという。これは精神療法にも分析にも言えることだという。そしてその上で精神療法においては、患者の内的な力動の知識が得られるのに対して、精神分析ではそれをいかに知ることができるかを知ること、すなわち自己分析の能力を得るためのものであるという。また十分に良い精神療法は、精神分析の最初のフェーズに類似するという。  精神分析と精神療法の違いとしては、精神療法では抵抗はセッションが間遠になるためにより難しくなるという。そこで分析においては抵抗をワークスルーすることができるのに対して、精神療法ではそれを同定し、克服することに向けられるという。前意識的な自我は精神療法でも治療の対象となるが、精神療法では治療抵抗のために、それを意識化することが制限される。そしてそれが転移で再体験されることへの制限がかかり、むしろ転移で外的なジレンマを説明する方向に導かれるという。また逆転移を用いることは、それを体験する時間が短いためにより難しくなるとする。  その代わり精神療法では、自己分析ではなく、「方向づけられたより自由な思考 directed freer thought 」を育てることができるというのだ。これは分かりやすく言うと、考えることを考えるのではなく、特定の問題をより自由に考えることができるようになることだという。  印象として言えるのは、精神分析と精神療法を質的に分けるというよりは、むしろ目標の違いを論じているということである。そしてBusch の論文では分析ではより深く、精神療法ではより浅く、というニュアンスは薄く、なぜなら精神分析自体がより表層を扱うべきだからであるという。結局転移をどの程度扱うか、という点での両者の相違はあまり書かれていない。