精神療法は愛着の問題に向かっている
ここで精神療法は愛着の問題に向かっているということについて述べたい。最初分析の世界ではスピッツやボウルビーは外れ者扱いをされていたことは興味深い。ジョン・ボウルビーは英国精神分析界という立派な出自を持っていて、ロンドンでトレーニングを受けてメラニー・クラインの弟子のリビエールから分析を受けたが、どうしてもクライン理論になじまなかった。彼はどうして母子関係の愛着の問題が精神分析で見過ごされるのか全く分からなかった。動物における愛着行動はまさに早期の母子関係の重要さを証明しているではないか、もっと動物行動学から学ぶべきだ、などと考えたのである。彼自身が幼少時に寄宿舎に入れられて、母子分離のつらさを身をもって体験した人だったということも大きい。 しかし実は全く同じことを考えていたウィニコットなどは、クラインやそのほかの精神分析の大御所に忖度して、「ボウルビーのような存在は迷惑だ」などと言っていたのである。そして愛着理論はその後、メアリー・エインスワースやメアリー・メインといった精神分析とは関係ない研究者たちの手を経て、分析から離れていった。さらに一般心理学、実験心理学のフィールドで極めて盛んに論じられるようになったのだ。
さて精神分析の世界では、人間がいかに変わるか、心の構造的な変化を起こすかについて、そこに転移や解釈といった、治療者と患者の間に生じる力動と、それの知的操作により得られる洞察という、いわば認知的なプロセスが重要であるという議論が盛んにおこなわれた。しかしその限界がいろいろ検証され、同時に生まれた米国の関係精神分析の流れにより、洞察よりは関係性、ということが叫ばれるようになった。つまり治療者が患者にどのような知的な解釈を伝えるか、ではなく、患者とどのような関係性を持つか、の方が重要だという機運が高まってきたのである。 こうして精神分析でも二者関係の情緒的なつながりの重要性ということが叫ばれるようになった。これは早い話が治療者患者の関係を母子関係になぞらえることになるが、実は転移の解釈という文脈にも、その転移自体が養育状況に似た深い情緒的な関係性の中で生じるという議論があったことは興味深い。ただフロイトも愛着段階については論じなかったこともあり、エディプス期以前の議論には抑制がかかっていたことも確かである。
さてやがて精神分析と愛着理論がいよいよ繋がるわけであるが、そこには二人の人間が関係していた。彼らにより愛着の問題は精神分析の舞台に引き寄せられたのである。
一人はアラン・ショアである。彼の登場により、愛着がうまく行かなかったことでどのような精神のダメージが生じるか(いわゆる「愛着トラウマ」)について脳科学的に詳細に論じられることとなった。そして何よりも二人目のピーター・フォナギーの登場である。彼はメンタライゼーションの理論を提示したのだが、彼のすごいところは愛着の問題が精神の発達の根源にあることを見抜き、それをウィニコットの理論を引きつつ論じたことにあった。メンタライゼーションは非常に巧妙に、ウィニコット理論と愛着理論と、愛着トラウマの理論を結び付けたのであった。