2025年6月17日火曜日

遊び 推敲の推敲 8

 このように考えると、私たちの体験する楽しみには、ほとんど常にこのPEMが凝らされていることがわかるのだ。例えば芸人がネタを考える。絶妙なタイミングで言葉を発して、それが観客の笑いを生む。これはとても微妙な予測誤差を含むからだろう。そしてそのために芸人が考え、準備をし、練習を重ねてそれを披露するのだ。この際の予測誤差最小化のための努力はいかなるものだろう。  では芸術はどうだろう。バイオリニストが奏でる名曲。しかしそれが感動を与えるのは、正確無比な技巧だけではなく、そこに微妙な形で込められた「溜め」や「揺れ」のせいだろう。そこにそのバイオリニストの独自のセンスや感情が伝わるのだ。これももともと楽譜通りに正確に弾くという技術がなければ不可能な芸当なのだ。PEMによる精緻な技巧があってこそのズレ、適度のPEが感動を与える。  あるいはスポーツは? リオネル・メッシが試合でディフェンスに対峙して見事なフェイントや股抜きでかわす。ディフェンスもメッシも予測誤差を最小化する努力を常にしていて、それをより高度に行った選手が勝つことになる。観客はおそらくどちらかに同一化して、相手の動きの予想外の動きに驚嘆し、熱狂する。これは両者の技術の高さがあって初めて成り立つのだ。そして観客もそれ相当に目が肥えていなくてはならない。さもなければ「なんであんな単純なフェイントによる動きを予測できないんだ!へたくそ!」ということになり、キレの悪いフェイントで相手を抜いたメッシも、それによりまんまとぬかれたディフェンスも感動を与えることはないだろう。