私が2年前にPOSTという試みの話を聞いた時、「マジか?」と正直思った。 分析を学び実践する若手の間でそのような動きが起きるとはにわかには信じられない。あの支持療法の議論に精神分析の内側から真正面から取り組むなど、なんて大胆で向こう見ずなのだろう、と。でも結局はこのPOSTの議論も、フロイトの教えにしたがった(フロイトに忖度した)、本質的には無意識内容の解釈につながる治療指針に沿ったものであろうと想像した。だからPOSTの本を買って読むこともなかった。私が初めてこのPOSTの具体的な内容を知ったのは、関連書(山口貴史氏の「サイコセラピーを独学する」)を読んで度肝を抜かれたからだ。そしてこの山口氏も参加しているPOSTの動きを著書を購入して読んで見て思った。「彼らは真剣なのだ‥‥」。 今回このような題での一文を寄せることになったのは、私の側からの申し出であることは断っておかなければならない。彼らの迷惑にならないことを祈るばかりである。 この度POSTの書籍の第2弾が出版されることになったわけであるが、今後この動きがどのような方向に行くか分からない。彼らが掲げた「目標は適応状態の改善である」に始まる8項目の一つ一つにケチをつけたり反論を加えたりする人だっているだろう。しかし私はそれらは些末なことだろうと思う。私にはPOSTを支える根本から支える理念が心情的によくわかる気がするからだ。 精神分析家たちが陥りかけている自己愛への反省。クライエントファーストの考え方。そしてその背後にある倫理の問題。そこにはある一つの共通したテーマがある。 読者はPOSTの試みを目にして、「これは精神分析なのか?」と思われるかもしれない。しかしそこに語られる用語、転移、逆転移、解釈、など、ことごとく分析的な概念なのである。POSTは精神分析の用語で語られた、従来の精神分析を超克する試みであり、その意味で精神分析的なのだ。(精神分析という母国語で語られた、とはそういう意味である。)