岡野憲一郎のブログ:気弱な精神科医 Ken Okano. A Blog of an insecure psychiatrist

精神科医が日常的な思いつきを綴ってみる

2021年10月15日金曜日

解離における他者性 14

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   私がこのケースを提示したのは、次のようなことを示したかったからである。このケースでは A さんと A’ さんという二人の人格と関わったことになる。そしてその時の彼女たちの差し迫った状況により、私はそれらのどちらかを選択して支持する必要があった。というよりはそうせざるを得ない...
2021年10月14日木曜日

解離における他者性 13

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  この特別講演はオンラインということで、ケースを出すことが出来ません。しかし私は極めて興味深いケースにたくさんお会いしています。そこで私がかなり昔に体験したケースを提示させていただくことになります。名前は A さんとしましょう。これは架空のケースですが、そのリアリティは担保され...
2021年10月13日水曜日

解離における他者性 12

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  意識は一つの統合体である 意識とはあるクオリアの伴った体験を持つものと私は定義したいが、その際意識は統合されている。つまり断片的な意識、等というものはない。ここら辺は Edelman Tononi の The Universe of Consciousness. の助けを...
2021年10月12日火曜日

解離における他者性 20

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  ちなみにフロイトはこれを「ドラ」( 1907 )における注釈において、ダメ押し的に「類催眠状態」への自分の関与を否定している。私自身がスタンダードエディションの問題の個所を以下に訳してみた。  性的外傷説を私は棄却したわけではなく、それを超えているのである。つまり今はそれを誤...

解離における他者性 11

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   さてここまでで物心つかない子供や認知症の症状のみられるご老人、そして酩酊や睡魔の為に朦朧とした心などを例に挙げたが、これらの例により、いわゆる交代人格と呼ばれる人々に関する誤解を与えかねないのでここで改めて述べたいことがある。それはいわゆる交代人格の多くは、明確な心を持った...
2021年10月11日月曜日

解離における他者性 10

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  部分的な心などあり得ないという事   ここで交代人格が部分、断片として扱われるという件に関して、その断片という考え方はそもそも心理学的にも、哲学的にも問題があるという主張を行いたい。なぜなら心というのは常に統一されているからだ、というのがその根拠である。この点の説明の為に...
2021年10月10日日曜日

解離における他者性 9

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  交代人格と人として出会わないという歴史的な経緯   ここに示した解離否認症候群はあくまでも一部の精神科医、とくに精神分析的な治療者に見られる傾向である。そしてもちろん精神医学の世界では、解離性障害をそのものとして理解し、その病態の理解に努めるという動きが存在する。それは ...
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自己紹介

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ken Okano
1956 Born in Chiba, Japan. 1982 Graduated from Tokyo Univ.Med.School. 1989~1993 Trained at Menninger School of Psychiatry. 2000. Board Certified psychiatrist in US. 2004~2014 Professor at International University of Health and Welfare, Tokyo. 2014~ Professor at Kyoto University, Graduate School
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