2021年10月12日火曜日

解離における他者性 11

  さてここまでで物心つかない子供や認知症の症状のみられるご老人、そして酩酊や睡魔の為に朦朧とした心などを例に挙げたが、これらの例により、いわゆる交代人格と呼ばれる人々に関する誤解を与えかねないのでここで改めて述べたいことがある。それはいわゆる交代人格の多くは、明確な心を持った存在だという事だ。そしてその人格の在り方はかなりしっかりしていて、酩酊状態や意識レベルが低下してその存在が怪しげな人格とはことなり、はるかにしっかりした受け答えをするのがふつうである。通常の人と接しているのと変わりない。DIDの患者さんと接触したことがない方の場合はわかりにくいかもしれないが、交代人格は一時的に出て、また戻ってしまうという形を取らないことはいくらでもある。数か月にわたり主人格が「失踪」してしまい、その間交代人格が留守番をすることがある。治療者としてはその間別人と会っていることになる。そして分かるのはそれぞれの交代人格に個性があり、異なる考えがあり、また異なる趣味や嗜好があり、また感情の動き方も大きく異なるという事があるという事だ。それらは主人格と類似のこともあるが、多くの場合全く異なる。それは正反対と言うよりは別物なのである。主人格にとってもどうしてそのような人格が生まれたのかの理由がわからないこともある。私が交代人格を別人として認識し、そこに個別の個性を見出すのは、この交代人格の不思議な性質である。
 ただしそれらの交代人格には何らかのモデルが存在することは少なくない。ある交代人格は、よく見るアニメのキャラクターによく似た性質を有する。またある「黒幕的な」人格は昔の虐待者とそっくりの口調で話す。これらはいわば外部から「憑依」する形で交代人格を形成している様子をうかがうことは確かにある。しかしだからと言ってそれらの性質を借りただけの個性のないゾンビのような存在かと言うとそうではなく、自分なりに考え、喜び、悩む個別の人間という印象をどうしても与えるのである。
 またここでさらに断っておかなくてはならないのは、交代人格との対比でいわゆる「主人格」をあたかも本家本元の人格として扱っているわけでは決していない。主人格とは通常一番出てきていることの多い人格という意味で用いているに過ぎない。それとは別に戸籍名がAさんである場合に、そのAさんを名乗っている人を基本人格と呼ぶが、その基本人格が主人格であるという保証はない。基本人格Aさんは幼い頃には存在していたが、虐待などを経て早くから冬眠状態にあり、それに代わってBさんがずっと主人格として生活をしてきた場合も少なくない。その意味では主人格もまた交代人格なのである。