2025年12月15日月曜日

JASDに向けて 1

JASD(日本解離研究会)の12月の大会(すでに昨日、無事に終わったが)に向けて、講演者内海健先生の「自閉症スペクトラムの精神病理」(2015、医学書院) を読んでいるが、いろいろ刺激を受けている。というよりか揺さぶられている。どうしてこんなに大事な本を読んでこなかったのか。この本の中心的な概念はΦ(ファイ、と読むのだろう)であり、非常にわかり易い表現として、他者の視線(志向性)のレセプターと表現される。もちろんこれだけでは何のことか分からない。しかしこれが成立しているということは、他者に心があるということを直感的に知ることが出来る条件であるというのだ。そしてそれが欠けているのがASD者ということである。ただし内海氏はASD者は「心」を介さずに直観的な共鳴(sympathy)の能力を持つ、というところが複雑である。つまりASDは他者のことが分からないというわけではない。ただしわかり方が定型者 typical person とは違うと言っているのである。それが他との同一化である。あるASDの人が、持っている茶碗を落として割ってしまって泣き叫ぶという例が本書に出てくる。自分が割れたと感じるからだ。でもそれは茶碗に心を見ていなくても生じることだ。
Φが成立しているということは他者のまなざしに反応をし、羞恥心を持つというのが内海説だが、全くその通りであろう。まなざしが私たちの心を揺さぶるのは、そこから無限の共鳴状態が始まるからだ。相手の視線を通じて対象化される自分。それは自分を対象化する視点と重なる。自意識を持つ人は、たとえば「自分はこんな恥ずかしいことをしていて、人には言えないな」と感じるだろうが、それを丸ごと目にしかねない人がいることに驚愕するのである。それゆえに他者の視線は怖い。そしてその自分が実は他者に対して同じことをしている。「どんな奴だろう?」と見ている。そのことを向こうも知っている。つまりそこには無限の交互性がある。例の対人関係における「無限地獄」である。
この無限交互の世界に入ることは、他者と会うという行為がそのままその他者の自分に対する経験のモニターの成立を意味する。世界は他者体験が込みになり、対象は「もの」と他者に分かれる。 ところでこのASDにおいても成立している(というかASDがその段階にとどまっている)直観的な共鳴(sympathy)は、右脳のみの世界という事も出来る。これについてはジル・ボルト・テイラーという脳科学者の体験記が参考になる。