さてAさんの身に起きる可能性のあることを分類してみる。 1. Aさんの心が伝統的な精神分析のやり方により「変容」し、人を信頼できるようになる。 2. Aさんが職場の上司を信頼できるようになる。 3. Aさんに上の1,2のことが同時に起きる。 4. Aさんは結局人(治療者、上司を含む)を信頼できるようにならない。
さて現実問題としては、4が一番起きる確率が高いのは致し方ない。ただしこれもケースバイケースである。本当に心の底から他者に不信感を持った人の場合、おそらく何が起きても心から人を信頼できるようにはならないだろう。そして次に起きる可能性が高いのは、私の考えでは2である。つまり上司がAさんに対して親身になって、親代わりのように辛抱強く、気長に接することでAさんは変わるかもしれないのだ。そして1はぜひ起きてほしいものの、2に比べてあまり起きない気がする。何年かの「純粋な」分析治療により人がそのような大きな「変容」を遂げるということは私は身近には体験していないのだ。勿論そう言い切ることは出来ないが、例としてはまれではないか。 ラルフ・グリーンソンは高名な精神分析家であり、マリリン・モンローの分析家だったことでも有名だ。しかも彼は分析家でありながら、伝統的な分析家らしくなく、モンローに対してそれこそ大変な「持ち出し」を行った。家族の一員の様に接することも含めて。何しろ彼にとっての特別患者だったからだ。でもその結果はどうだろう? 彼女は結局オーバードースでなくなってしまったが、彼女の人を信頼できないという問題は最後まで残っていたと考えるべきだろう。そしてそれは精神分析にそれだけの限界がある、というよりはそれほど彼女の抱えていた問題は大きかったということだ。つまりモンローの場合も上の分類では残念ながら4に該当するのだ。 精神分析の歴史を振り返れば、分析家のシャンドール・フェレンチは、治療における大実験を行った人として知られる。それこそ何人かの患者に対して大変親身になって、大きな「持ち出し」をしつつ治療を行ったが、それでも彼の側の逆転移の問題もあったせいか、彼の患者さんの多くは余計問題が深刻になってしまった。 かつての分析家は劇的な治療効果を目指し、またそれが実際に生じたかのように論じたが、実は現実はそうは甘くなかったのだ。この週1回か週4回か、どちらがヒアアンドナウで転移を実際に扱えるかという問題も、実はそのような現実を背景にして。かなり醒めた目で論じるべきなのである。