2023年11月15日水曜日

連載エッセイ 10の推敲 2

報酬系が焦げるプロセス
 ここからは少し込み入った話になるが、報酬系におけるドーパミンニューロンの異常がどのように嗜癖を生むかを理解する上では避けて通ることが出来ない。そこでは報酬系が過剰な快感により一時的に、あるいは永続的に機能不全に陥るという事態が生じるのだ。(これを私は「報酬系が焦げる」というショッキングな表現を用いて説明するが、その意図も以下の説明で理解していただけるだろう。)
 前回の連載でお示しした報酬系の図を思い出していただきたい。VTA(腹側被蓋野)から延びるドーパミンのニューロンが興奮すると、その興奮の強さに応じて側坐核のシナプスにドーパミンが放出され、それを受け取る側の側坐核のドーパミンの受容体がそれを受け取る。これが快感として体験されるが、その度合いは、いっぺんにどれだけ多くの受容体がドーパミンを受け取るかにかかってくる。しかしその度合いはたいていは一定範囲の中を揺れ動くのである。つまり私たちの日常にさほど強烈な快は訪れないのだ。
 ところが何らかの理由で異常なほどに強烈な快感を、それも何度か繰り返し体験すると、この報酬系の構造が異常を来たす。具体的には次のような二種類の異常が起きることが知られている。
① 同じ刺激によるVTAからのドーパミンニューロンの興奮が低下していく。
② 側坐核のドーパミンの受容体の数が減ってしまう。
なぜこのような事態が起きるのかは詳しくは知られていない。ただ私たちの体は、普通は生じないような強烈な快感に対しては、それを異常として察知し、快感の度合いを正常値に保つために報酬系にこのような変化を起こすのである。ちょうどエンジンが通常以上の回転数を続けることで焼け焦げてしまうような感じなのだ。そしていったんこれが起きると、正常に復するにはかなりの時間がかかることになる。
 そこでこの異常に強烈な快が生じる場合を考えよう。それは血液中に嗜癖物質が一気に高まり、側坐核のドーパミンの受容体をいっぺんに刺激するような事態である。普通違法薬物はどのように吸入するかにより血中の濃度の上がり方がかなり異なる。それを飲み込んだ場合には消化管から吸収されて血液中に入るので比較的ゆっくりである。それに比べて静脈注射ではかなりそのスピードが増す。そして一番早いのが肺から吸入する方法だ。例えばクラックコカインのように、煙で吸って肺胞を通じて血中濃度が一気に高まるときに、最も強烈な快感を生む。もちろんそれは一時的な快感だが、その強烈さが一気に嗜癖を生むことが知られている。(たばこの嗜癖性もまた、吸い込んで肺胞から吸収されたニコチンが一気に脳に達するからだ。)
 まだ何も変化をこうむっていない報酬系はこのクラックコカインの吸入に最大限に反応するあろう。それほど初回の使用による快楽は強烈なのだ。しかし一定の間隔を置いて何回か同じ体験をするうちに、報酬系は徐々に焦げて行き、反応が鈍くなる。最初の量のクラックコカインではもはや初回の強烈な快楽を味合わせてくれない。いわゆる「耐性」の形成である。そしてそこで生じるのは、コカインの刺激をあまり得られないという事だけではない。