2023年10月10日火曜日

連載エッセイ 9 その7

  昨日の続きである。自分が書いた「報酬系の働き」を読んでみたが、まとめると次のような内容だ。報酬系でドーパミンが放出されると私たちは快感を覚える。しかしそれは不思議な性質を有する。それはいわば快を頭の中で先取りしたことによる快なのだ。つまり快そのものではなく、その約束手形のようなものなのだ。ネズミはシロップを味わう前にすでに、その権利を獲得したことを喜ぶ。それはシロップの美味しさそのものからくる快とは異なるのだ。そしてこの種の快はそれが不在であることの苦しみを引き起こす。これが渇望である。

 思考実験のやり直しだ。ネズミはある日初めてノズルから滴り落ちた甘いシロップを味わう。「美味しい!」しかしその時の嬉しさは甘さだけによるものではない。「なんだ、こんなことが起きるのか!」という驚きを伴った嬉しさ。こちらがドーパミンの関与する嬉しさだ。そしてそれは本来の美味しさからくる快とは遊離していく・・・・・。

 とここまでが、昨日書いた内容だ。でもどうもしっくりこない。少し考えなおしてみたくなった。というのも「美味しい」という嬉しさはその時はただ一つの純粋なものだったように思うからだ。それ自体は二種類の快から構成されているというのはどうも嘘っぽい気がする。しかしそれが記憶され、のちに想像されることで二重帳簿化するのではないだろうか。美味しさの体験は思い出としても残り、それがDの正体なのだ。ネズミは後になって「あのシロップ、おいしかったなあ」と思い出して幸せな顔になる。心地よさを思い浮かべることも一種の快感だろう。実際のネズミはこのようにして思い出すことは出来ないかもしれないが、まあ少し擬人化してこう考えよう。ところが次の瞬間にネズミは気が付く。「これって現実に起きてはいないよね。だって実際にはシロップなんて舐めていないんだから。」これはちょっとした失望だ。つまりを想像できるということは、小さなD、例えば0.1Ðを味わい、次の瞬間に現実に返って-0.1Dを味わうという事なのである。人間ならもっと記憶力がいいからこんなことをいつも繰り返すのだろう。そのうちにシロップの記憶そのものが薄れ、Dも量としては少なくなるのだろう。要するに一回だけのシロップの体験はやがて忘れられていくのだ。

 しかしそれにしてもなぜこんな面倒くさい仕組みが出来ているのだろう? 一つの仮説は生命体はこの一度味わった快を追い求めるための装置としてこのドーパミンシステムが備わっているのではないだろうか。それが生存の可能性を高めるのだ。ところがこのシステムにはバグが生じることが知られている。そしてそのためにネズミの生活はこれほど穏やかではないかもしれない。


  まずシロップの出てきたノズルは紛らわしいことをするからだ。ある時ネズミはノズルから粘稠そうな液体が出てくるのを見る。ネズミは思わう「シロップだ!」と急いで舌で舐めとる。しかしただの水だった。この場合は期待度は0・9Dくらいまで行っていたので、シロップではないことを知った時の失望も大きい。マイナス0.9Dだから相当なものだ。つまりシロップの甘さを忘れさせてくれないような刺激がある限り、ネズミは悩ましい体験を繰り返すことになるだろう。そしてこのシロップの甘い記憶は容易に忘れらせてもらえない可能性があるのだ。

 ところでネズミは緑信号が付いたときにノズルからシロップが出てくることを学習していく。すると実際にネズミがシロップを味わうことが出来た時も、きっと第一回目のようにおいしいはずだ。ところがこのおいしさは初回とは少し異なる脳の働きに反映される。少なくともドーパミンニューロンの興奮はシロップをなめた瞬間には伴わない。ドーパミンは空想上の快であって現実のそれに同期するわけではないからだ。

 実際にが与えられてもドーパミンは反応しない、ということを別の例で説明しよう。あなたはある日「これをあげます」と一万円札を渡される。その人は時々あなたにお小遣いをくれるやさしい隣人だ。あなたの脳の中では「やった!」というドーパミンの興奮がみられるだろう。そして翌日その叔父さんから、「今日もあとで一万円差し上げます」と告げられる。その瞬間に再びやった!となるだろう。それだけその叔父さんをあなたは信用しているのだ。実際にあとで一万円札を渡されたとしたら、「よかった、ちゃんと約束を守ってくれたのね」と安心するだろうが、その言葉を100%信じていたとしたら、お札を渡された瞬間はドーパミンニューロンの興奮は伴わないだろう。

 先ほどの例と事態はあまり異ならないことはお分かりだろう。(ネズミか人間かは別として。)そしてあなたが実際にお札を渡された時にもはやドーパミンの興奮が伴わないことはごく当たり前に思えないだろうか。それは一万円札を貰えるという約束をしてもらった時点で起きていたことだったのだ。もちろんシロップをなめるのと一万円札を渡されるのでは違いがある。一万円札は少なくとも五感では味わえないからだ。しかしシロップをなめた時のおいしさは、ドーパミンとは別の伝達物質が担当するのだ。