2023年7月6日木曜日

連載エッセイ 5の3

 随伴現象とは何か?


  一つは上述の「随伴現象」の問題である。私たちが主観的に体験するあらゆる表象は、脳の物理的な状態に随伴して生じているものと考えるのがこの立場である。仮に脳の物理的な状況が少しでも異なった場合に、その体験はそれに見合った形で変化するだろうか。 私がこれまで論じてきた内容をたどれば、かなり明確にこの立場に沿って論じたものであることになる。神経細胞のネットワークの発火のパターンはN次元上の一点に相当する(ただしNは神経細胞の総数)、とした。このパターンが少しでも変化すれば、その一点も変化する。だから心を随伴現象と考える立場は私のこのエッセイの前提ともなっている。

 例えばわかりやすい例で色を考えよう。私達は黄色と橙を異なるクオリアとして体験する。そして黄色から橙のクオリアの変化は、目の網膜に到達する光の波長が570 nm 付近から590 nm へと変化することで生じる現象である。この場合クオリアが随伴現象でなかったとしたら、波長が少し変わったくらいで体験は同じだったりすることになる。しかしそのような現象を支持するような研究結果に出会うことはない。脳梗塞や脳出血、あるいは定位脳手術により脳の実質がほんの少し損傷しても、また経頭蓋磁気刺激により神経細胞の興奮パターンがほんの少し変更されても、それが体験を著しく変化させる。

 もちろん私たちの脳は自由に創造活動を行うことが出来る。しかしその内容にはおそらくことごとくN次元上の点がついて回るだろう。これはもちろん確証を持って主張するころは出来なくても、このように考えないといろいろな現象を説明できないような所見を現代の私たちは与えられているのだ。その意味ではやはり心は物理学に還元することが出来るのだ。

 この様な事実を前にして、クオリアが物理的な世界から独立して存在するというチャーマーズに代表される議論(いわゆる心身二元論)は私にはピンとこない。もちろん可視光の波長といった明確な物理量には還元できない心的な体験はいくらでもあろうが、それは究極的には神経細胞のネットワークの興奮のパターン(N次元上の一点)に対応するという意味では、やはり物理的(脳科学的)基盤抜きにはあり得ないように思う。

 ただ私たちに不可能なのは、クオリアが脳とは全く異なる現象で生じる可能性を否定できないということである。例えば生成AIが心を持っているとする。それは人間の脳の神経細胞の興奮パターンとは全く異なる別の何か、例えばニューラルネットワークの素子の興奮パターンで生じないという保証はない。あるいは人間と全く異なる脳の構造を持つ火星人がやってきて、心の存在を信じさせたとしても、私たちはその人間の脳とは全く異なる脳で起きているある種のパターンに還元されるべき心の存在を否定できない。一つ言えるのは、その体験のきめの細かさに見合うある種の組織の興奮パターンの複雑さ、多様性が保証されているべきであろうということだ。私たちはチャーマーズが例に出したようにバイメタルが心を持てないのは、それが脳でないからではなく、それは複雑な情報を収納するような組織を有していないからだ。

ちなみにこの情報量と心を等価として論じるのがトノーニの統合情報理論であると私は理解している。