2019年9月16日月曜日

フェレンチ再考 5


フェレンチの悪名高き「相互分析」
私自身はフェレンチに対して相当寛容であり、味方であったと思っていたが、いろいろ読んでいくうちにそれでも彼に対する偏見があったと思わせられる。米国でフェレンチの復権に大きな貢献をしている分析家 Arnold Rackmanの論文を読むうちに特にそう感じさせられる。彼はフェレンチ研究センターのボードメンバーだが、彼が「フェレンチは実は性的な逸脱をしていなかった」と主張をしているのを読んでも、「ほんとに?」という感じだったのだ。
おそらくフェレンチの悪名の極めつけは、「相互分析」だろう。患者さんと分析をしあったというエピソードだが、大部分の精神分析家は「そこまでやっちゃあ、おしまいだね。」「やはり晩年のフェレンチは悪性貧血で頭をやられていたんだね。」となってしまうのだろうし、私もそんな感じを持っていた。しかし少し話が違うようだ。
長くなるが事の顛末を追おう。まずフロイトの1910年の論文「『乱暴な』分析について observations on Wild Psychoanalysis」という論文がある。「素人がよくわからずに分析をしてもよくないですよ。」「よい子はまねしないでね」的な、正しくない分析のやり方に警鐘を鳴らす内容の論文だ。しかしそこでフロイトが出す例は実はあまり「乱暴」という感じではない。
たとえば極度の不安症状を抱える中年女性の例。ある若い分析家が、時期尚早の解釈を加えたというのだ。それは女性が離婚したあとに性的な満足を得られないことが不安の原因だという解釈であり、その結果としてその女性の不安は治まるどころかより高まったという。そこでその若い分析家はフロイトのもとにやってきてコンサルテーションを請うたという。フロイトはこれは間違った技法の用い方であり、患者の抵抗や抑圧や関係性を考慮していない、としている。つまり正しいやり方をしなかったから効果がなかったのだというわけである。
私の考えでは、この女性の反応はひょっとしたら「なんですって?私の性的欲求不満が不安の原因ですって? ワケわからないわ!」というものであったのかもしれないが、フロイトによれば「解釈自体は正しい、でも早すぎたのだ。(もっと受け入れるための準備や素地が必要なのだ」ということらしい。想像するにフロイトはおそらく同様の疑問を呈されたことがこれ以外にもあったのかもしれないのだろう。「先生の言ったとおりにやってもうまく行きませんよ。」という不満が弟子たちから聞かれたのかもしれない。フロイトは内心ひどく驚き、プライドを傷つけられる。そして「いやいや・・・・」となったわけで、フロイトは解釈を受け入れることへの抵抗という考えを進めていかざるを得なくなる。解釈は正しくても、否、正しいからこそ、患者はそれを受け入れることに抵抗する。だから扱うべきはまずこの抵抗である、という風に彼の思考は進んでいった。
さて問題はこの乱暴な分析への警告が高まった1925年から33年の期間は、ちょうどフェレンチが難しい患者の治療に着手し、その独自の手法をいろいろ試すという動きと重なっている。そしてフェレンチが「乱暴な分析」の申し子となってしまったということである。