自己愛の臨床症例と治療の継続
自己愛についての講演を行うと、しばしばたずねられる質問である。「自己愛の患者さんは治療動機が定まらずにすぐドロップアウトをしてしまうのですが、どのように扱ったらいいのでしょうか?」
しかし考えてみれば、自己愛の問題を有する多くの人は、自分の問題を自分で考えるつもりはないのである。その意味で治療を継続しない、自分を見つめるという作業を行わないということと、治療作業をドロップアウトしてしまうことと、自己愛的であるということは同義ということになる。ここで「自己愛的な性格」があたかも実在するように扱うことを避けるために、各人の持つ自己愛的な傾向、という考え方をしよう。自己愛的な傾向とは、自分が不安を回避し、安心感を確保できるようにすることを、現実や他者の存在への顧慮に優先させることだと理解するとする。するとこれは実は私たち皆が多かれ少なかれ持っている傾向ということになる。
こんな例を考える。会社のために一日の大部分を拘束される日本の典型的なサラリーマンを考えよう。彼は部下からかなり頼りにされている、ある技術部門の課長だ。彼の頭の中は、現在彼の課で開発しているある新製品のことで常にいっぱいである。特に最近試作品にちょっとした欠陥が見つかり、それを早く治して納品しなくてはならないという事情があり、夜遅く帰り、明日の朝早く出勤をしなくてはならない。
さて彼には結婚して3年になる妻がいて、双子の乳飲み子がいる。夜中に熱を出したり泣き出したりして妻も結構大変な思いをしている。妻も結構余裕がなくなっている。
ある晩赤ん坊のうち一人が夜中に泣き出す。熱を測ってみると37度を少し超えている。妻は子供が肺炎にでもなったらどうしようとオロオロし、夫に「ちょっとあなた、起きてよ。●●ちゃん、熱があるみたいなの。顔も赤いし。」それに対して夫は、「ちょっと寝かしてくれないか。頼むよ。」と言って背中を向けてまた寝入ってしまう。妻は思うのだ。「なんて自分勝手な人でしょう! 仕事と家庭とどっちが大事なの!」
さて欧米だとかなり事情が異なる。夫はもっと仕事に余裕を持っているかもしれないし、子供の発熱についての反応の仕方が違うかもしれない。少なくとも家に帰ってきてまで仕事のことは考えていないし、残業代も出ない仕事を遅くまで会社に残ってやるわけではない。「よし、じゃERに連れて行こうか。今車を出すよ。」となるだろう。翌日職場には「課長は family
emergency で今日は来れません。」と連絡を入れる。部下たちは自分にも起きることだから特に動じない。Family emergency
は完全に欠勤の理由として受け入れられる。家族の緊急事態(その詳細は説明する必要なし) は自分のことのように大事ですよ。みんなもそうでしょう? そうじゃないと離婚になっちゃうし。そんな感じだ。
ところがもし同じようなことが日本の職場で起きたらどうだろう? 「課長が子供の熱で今日は来れないって。信じられないな。なんて勝手な人なんだろう?」
そう、課長は少なくとも日本の社会では、どちらかを優先するかにより、優先しなかった方からは「自分勝手な人」ということになる。勿論彼が自己中心的な人間かどうかは一律には決められない。少なくともその行動が「誰かのため」という意味合いを持つ以上はそうであろう。