この論考、部分的な書き直しばかりしている。比較的簡単にまとめられると思っていたが、決してそうではない。楽に書ける論文など決してないのだ。
海外における治癒機序に関する理論
ここまでで論じた我が国における「コンセンサス」(「週4回では転移は扱え、週1回では観察のみ」)は海外での精神分析の議論にも見られるのであろうか?結論から言えば、そこには少なからぬ相違を見出すことが出来る。
まずは我が国の「コンセンサス」のきっかけとなった「ヒアアンドナウの転移解釈」に関する議論の歴史について触れる必要がある。米国においても Strachey により提唱された転移解釈(変容惹起性解釈)の重要性についての議論は、Merton Gill の「ヒアアンドナウ」のそれについての議論として「新たな活力を得た」(Wallerstein p.700)と言われる。そしてよく知られる1960年代からのメニンガークリニックにおける精神療法リサーチプログラム(以下「PRP」)においても「今ここでの転移解釈が絶対的に主要な技法である interpretation of the transference in the “here and now” as the absolutely primary technical mode」という Gill の提言は、一種の「信条 credo」として謡われたという(Wallerstein p55)。このPRPの流れ全体から言えることは、精神分析におけるヒアアンドナウの転移解釈の唯一絶対性ということが最終的には証明されず、治療はそれぞれ独自であり、解釈による洞察とともに様々な支持的な要素が入り混じった複雑なプロセスであるということを示したということである(注)。
注)そこでは42人の患者を精神分析プロパーと精神療法に分け、後者を表出的療法、支持的療法として分けて詳細な研究が行われたが、そこで精神分析で開始した患者のうち比較的分析手法が守られたのは10名だけという結果となった。
(以下略)