2025年5月29日木曜日

遊びと愛着 推敲 12

  チャット君の力を借りて、自分がとても大事なことを理解しようとしていると感じる。私たちが世界で生きていくうえで最も大事なのは、予測誤差最小化 predictive error minimization PEM ということで、これは生きていくうえでの基本ではないかと思う。世界は敵や危険に満ちているし、いつ命を奪われないとも限らない。そして同時に餌を確保しなくてはならない。そのために何が将来起き、それにどのような準備をしておかなくてはならないかは極めて重要であり、生存そのものにかかわるのだ。筐体に入って守られているAIとはわけが違う。人間に限らずあらゆる生命体が、世界をなるべく正確に認識しようと試みているだろうし、予想を裏切ることは危険でありかつ苦痛であり、不安でもある。(もちろん望んだ以上の快感を得られた、という場合は別であろうが。)そしてそのためにPEMにより心のエネルギーの消費量を最小限にすることは至上命令なのだ。  さてこの問題に、人間関係、特に愛着はどう関係するだろう? 赤ん坊はある情緒的な体験をする。例えば「お腹がすいた!」と感じ、泣くだろう。そしてそれを察した母親からミルクをもらうことで、母親は自分の苦痛を和らげてくれる存在として予測されるようになり、その予測はたいがいは妥当であることが証明される(つまりちゃんとミルクをくれる)。世界は自分の予測通りの姿を形作っていく。母親の方も一生懸命赤ん坊に起きていることを感じ取り、先回りをしてその苦痛を和らげようとするだろう。こうして赤ちゃんと母親が、お互いに予測可能で安全な存在であることが愛着の基本だなのだ。そしてここで具体的に生じているのがメンタライゼーションである。相手の心に何が起きているのかをお互いに察することが出来るプロセスがメンタライゼーションなのだ。  さてここに脳の同期化が関係してくる。同じ体験を同じタイミングで行うから脳波は同期するのである。そして「安定した愛着≒共感≒メンタライゼーションの機能の発揮≒脳の同期化」という関係が成立している。  さらにここに遊びがどう関係してくるのだろうか? それは安全性が確保されている状態で生じる交流であり、相手と自分との目まぐるしい身体的な交流を通して、PEMを行う過程と言えるのではないか。遊びが途中で阻害されてしまうとしたら、例えば遊びのつもりでかみついた時に力が強すぎで、相手が「キャイン」と悲鳴を上げるような時であろう。するとPEMは破綻し、それが相手に痛みを与えたほうに刻印される。こうして相手を叩いたりかんだりするときの力加減は微調整されていく。つまりは幼児は遊びを通して他者を知っていくのであり、それは他者の心を写し取り、メンタライズすることなのだ。