2025年5月1日木曜日

関係論とサイコセラピー 推敲 11

 以上の論述から、「コンセンサス」は世界における精神分析の潮流とは異なる路線であると理解せざるを得ない。なぜならいわゆる表出的精神療法は支持的精神療法とともに「分析的精神療法」として立派に存在しているからである。そして全体の流れとしては、表出的精神療法こそが、精神分析の理念を受け継ぐ「精神分析的」なものであり、ストレイチーモデルに従ったものということが出来るのだ。だから欧米の精神分析の世界では、分析的精神療法を、精神分析プロパーに準ずるものとして扱っているわけである。こうすることで、週一回の治療でも精神分析の精神は生きているのですよ、という主張が出来る。つまり彼らにとってはそちらの方がむしろ「コンセンサス」なのだ。 私はこのどちらの「コンセンサス」に軍配を上げるかという議論はしたくない。ただ事実を述べているだけである。精神分析的な方針を基本的には堅持する表出的な精神療法が生き残る道はしっかり示されている気がする。その一つの例は、すでに述べた「転移に焦点づけられた精神療法 TFP」である。ただ両者の歩み寄りは考えるべきではないかと思う。 その際重要なものの一つは(日本の)「コンセンサス」の再考である。「コンセンサス」は転移は扱わわないという前提に立つが、実際はその限りではないということはTFPなどの治療効果についてのエビデンスが示しているといえる。転移は扱えるのであるとしたら、POSTはもうすこしヒアアンドナウに開かれてもいいであろう。もう一つはPOSTに流れる治癒機序が、実は表出的療法にも、精神分析にも流れている可能性を探る事であり、それはPOSTの独自性へと目を向けることに繋がるであろう。つまりPOSTは精神分析でないもの、精神分析をこえたPOSTであることの意義が示されなくてはならない。 それについてはWallerstein はそれを「支持的な要素」とし、Gabbard は関係性と言っている。 Gabbardは、それをさらに修正関係体験 corrective relational exp. と呼び、それをJones (1997)の論文をひいて、「反復的な交流構造 repetitive interaction structures 」と表現している。そしてそれは役割応答性、エナクトメント、投影同一化、間主観性を含む概念であるとする。Wallerstein がPRPの結論で述べているように、「永続的な構造の変化は、非解釈的な支持的なアプローチにより生じる」のである(Gabbard, p.65)