岡野憲一郎のブログ:気弱な精神科医 Ken Okano. A Blog of an insecure psychiatrist
精神科医が日常的な思いつきを綴ってみる
2016年9月16日金曜日
Toward the theory of “Dissociation with capital D” ③
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The theory of dissociation in psychoanalysis The purpose of this essay is to pick up the topic of dissociation and refine aswell as re...
2016年9月15日木曜日
Toward the theory of “Dissociation with capital D” ②
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A very short vignette Ms.A, a female client in her late twenties has been in psychoanalysis for the past three years. One day, w hen ...
2016年9月14日水曜日
書くことと考えること ④ Toward the theory of “Dissociation with capital D” ①
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④ 分かることとは、もう一度不可知に突き落とされること 私は人間の心の何をわかりたいのだろうか? わかってどうするのか? 実は最後までわかってしまうのは、私にとっては不都合なのだろう。もう考えることがなくなってしまうと、考えることが趣味の私としては困ってしまうので...
2016年9月13日火曜日
1½ 章 ⑦、書くことと考えること ③
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快感原則を外れる「本能的、常同的、無意識的な活動」について 以上、人や動物の行動を「快感原則」と「不快原則」の両方に支配されたものとして描いた。しかしこれらの二原則がある程度 うまく 働くためには、言い換えれば現実原則がうまく機能するためには、その生物がある程度以上に高...
2016年9月12日月曜日
1½ 章 ⑥、書くことと考えること ②
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フロイトの「現実原則」も侮れない さて本章の最初に少しだけ紹介した、フロイトの「現実原則」について考えよう。これは快楽原則の際の快の体験を必要に応じて延期する原則である、と紹介したが、何のことはない、快楽原則と不快原則の両方を有している人間のあり方をそのまま表現している...
2016年9月11日日曜日
書くことと考えること ①
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精神分析との出会い 書くことが好きかと問われれば、ウーン、と考え込んでしまいます。書くのはおっくうだし、面倒くさい。ワープロの出現でかなり楽になりましたが、それでも机に向かって作業をしなくてはなりません。しかし考えることは好きかといわれれば、ハイ、と即答すると思います。...
2016年9月10日土曜日
1½ 章 ⑤
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「不快の回避」を「快の追及」に変えるのは想像力である ところで「すべての行為は快の追及と不快の回避の二つの要素からなる」という提言には、誤ってはいないものの、ちょっとしたトリックがある。それは「不快の回避」の一部はすでに、事実上快の追求と同じであるものも含まれる...
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