岡野憲一郎のブログ:気弱な精神科医 Ken Okano. A Blog of an insecure psychiatrist

精神科医が日常的な思いつきを綴ってみる

2015年3月18日水曜日

15年前に「現実」について書いたもの(8)

›
中立性と自己開示、禁欲規則 CR の概念は必然的に、それが古典的な概念とどのように関連するのかという問題にもかかわってくる。たとえば中立性だ。古典的な中立性の概念は、おおむね批判の対象になっていることは無理もない(分析家の還元不可能な irreducible subjec...
2015年3月17日火曜日

15年前に「現実」について書いたもの(7)

›
  分析の「間主観的な文脈における「第三主体  the third 」( Ogden )はどうか?オグデンによれば、両者の間主観性により形成されるものの、手に取ることが出来るような対象 tangible object を意味しないという。ところが共同の現実は両者のコミュニケ...
2015年3月16日月曜日

15年前に「現実」について書いたもの(6)

›
「共同の現実」と間主観性 というタイトルで、現実の無謬性について論じられていく。現実の無謬性は、両者の間に自由で対等なコミュニケーションが成立する素地を与える。なぜなら治療場面で何が「間違い」で何が「正しい」という制限から解放されるからである。治療者と患者の間の「共同の...
2015年3月15日日曜日

15年前に「現実」について書いたもの(5)

›
精神分析における現実を再定義する 現実とは、外にあって、直接それを正確に知ることなどできない。何らかの感覚印象を与えるものだ。それは患者にとっても治療者にとっても同じだ、という。それはカント哲学で言う「もの自体」、ビヨンのいう K に相当する。ビニエットの中ではシンディ...
2015年3月14日土曜日

15年前に「現実」について書いたもの(4)

›
ともかくも、私はこの論文で、現実は対象的 objective であり、主観的 subjective であるという二重の性質を持つ、と主張している。何かを感じるもととなるソースは外にあるという意味での対象性 objective. でもそれを切り取るのは主観であるという意味で su...
2015年3月13日金曜日

15年前に「現実」について書いたもの(3)

›
とにかくフロイトはとてもとても positivistic な人だった。どうしてなんだろう。 19 世紀終わりのヘルムホルツ学派の考えは、私たちとそれほど違っていたのだろうか?それともそれほど大げさな話ではなく、心を理解するうえで人が素朴に考えていたことなのだろうか?精神科医にな...
2015年3月12日木曜日

15年前に「現実」について書いたもの(2)

›
しかしより相対主義的な考え方もあり、著者(私)はむしろそちらに与する、という。(へえ?知らなかった。)その立場は、自分たちの外に「何か」、ある種の刺激を与えてくるような源はあるのだ、という。それは認める立場がこの相対主義だ。そこでさっそく読み進めると、この頃私は Broucek...
‹
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示

自己紹介

自分の写真
ken Okano
1956 Born in Chiba, Japan. 1982 Graduated from Tokyo Univ.Med.School. 1989~1993 Trained at Menninger School of Psychiatry. 2000. Board Certified psychiatrist in US. 2004~2014 Professor at International University of Health and Welfare, Tokyo. 2014~ Professor at Kyoto University, Graduate School
詳細プロフィールを表示
Powered by Blogger.