岡野憲一郎のブログ:気弱な精神科医 Ken Okano. A Blog of an insecure psychiatrist
精神科医が日常的な思いつきを綴ってみる
2011年1月31日月曜日
解離に関する断章 その14. 「暴力的な交代人格」をコントロールする
›
解離性障害を扱う専門家の間で、あるいはその患者さんにかかわる家族の間で、よく「暴力的な交代人格」の扱いをいかにすべきかが話題となる。確かにそのような交代人格が存在し、患者さんがコントロール不可能な状態になることはあるだろう。しかし私はすべてのDIDの患者さんの中に「暴力的な交代人...
2011年1月30日日曜日
絵の才能の話
›
忙しい週末だった。金曜の夜は柴山先生、奥田ちえ先生と解離の研究会の打ち合わせ。土曜日は久留米の前田正治先生にお招きいただき、解離の講演会。今日は一日精神分析学会の運営委員会だった。 ということでブログを更新する時間は全然なかったが、そのかわりサッカーのアジア杯の決勝はしっかり見...
2011年1月28日金曜日
治療論 その21.すべての人に共通すること 「理解」されることへの希求
›
セラピストは時々、患者さんの前でこんな思いに駆られる。「私は治療者として何をやっているのだろう?」患者さんが話を聞いてほしいと訴えかけ、その話に共感することで時間が過ぎていき、患者さんが次回のセッションを待ち望むという状況では、この考えはあまり起きないものである。患者さんが最初は...
2011年1月27日木曜日
解離に関する断章 その13の続き ヒルガードの実験が提起する問題―私たちはみな、多重人格なのか?
›
先日紹介したヒルガードの実験の話の続きである。この実験が意義深いのは、では私たちはみな多重人格なのか、という疑問を抱かせることである。私自身も、この「隠れた観察者」の実験を読んで最初に思ったのはそのことだった。しかしこれは、例えば公開の(場合によっては見世物としての)催眠、いわゆ...
2011年1月26日水曜日
治療論 21 患者さんの好きなようにしてもらう
›
最近挿絵を描いているが、こんな下手な絵は実際に本に挿入して恥ずかしくないか、というおしかりを受けそうである。しかし心配はいらない。実は私は昔から本の挿絵をこんな感じで描いてみて、あとはプロに「清書」(清描??)してもらっている。それがものの見事に変身するのである。私が生まれてはじ...
2011年1月25日火曜日
解離に関する断章 その13 また挿絵を描いてみた(ヒルガードの実験)
›
ヒルガードの「隠れた観察者」についての話だ。日本語には訳されていないようだから、あまり知られていない。 私たちの中には、本来もう一つの観察している部分があり、それは多重人格の症状をきたしているか否かに関係ないという見方がある。ヒルガードは、その古典的な「隠れた観察者」の実験を通...
2011年1月24日月曜日
なんのためのブログか?
›
昨日は結局ブログの更新を出来なかったが、ここでなんのためのブログか、というテーマで考えてみた。 自分で9カ月近くやってみた結果、ブログを続けるとはどういうことかがある程度はわかった。まず私の場合は若干の強迫があり、「ほぼ毎日」というペースを自分で勝手に作ってしまったというところ...
‹
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示