さて以上の記述からは、精神分析とは治療構造を重んじ、そこでは境界の設定とその維持はとても重要な意味を持つという印象を与えたかもしれない。ただ精神分析にはもう一つ、境界を踏み越えることの意義もまた含まれる点が興味深い。 例えばフロイトが定めた治療原則としての「自由連想」というものがある。患者はカウチの上で頭に自由に浮かんできたことを話すことを促される。そこでは「これを言ったらおかしいとか罪深いとか思われてしまうという意識に抵抗して心にあるありのままの内容を語るのである。これはある意味では社会における通常の対人場面で言っていい範囲を踏み越えることを意味する。あるいは患者は夢の内容を語ることを促されることで、夢が象徴的に表していると考えられる患者の無意識内容についても語ることを促される。つまりここでは意識的な内容と無意識的な内容との間の境界を踏み越えることを意味する。 以上の意味では精神分析は境界に関して両義的であると言える。つまりそれは外敵に与えられた治療構造という境界は守りつつ、心の中にある境界を無視し、あるいは踏み越えるという営みというわけである。実は後に述べるように治療構造における境界を厳密に守ることは不可能であり、また心に浮かんだことを何でも話すことも不可能である(自由連想は「不自由連想」である)が、それゆえにこの精神分析をめぐる議論を活発にしたという事も言えるのである。