2025年10月29日水曜日

ある書評 4

 第七章 先が見えないときどうしたらいいの?……ネガティブ・ケイパビリティ

 この章は少し不思議な章である。著者は「先が見えない時どうしたらいいの?」というタイトルからネガティブケイパビリティ(以下、NC)の話に入る。著者は営業の仕事を辞める決心をし、それを恐る恐る部長に伝えるが、部長は決して怒ることなく、むしろ飲みに誘ってくれたという。NCとは詩人キーツが使い、それを分析家ビオンが取り上げている概念である。それは「人が事実と理由を性急に追い求めることなく、不確実さ・謎・疑惑の中に留まることが出来ること」とされる。それが著者の置かれた立場とどうつながるかは分かりにくいかもしれない。著者はこの頃には大学院の心理学科に合格し、仕事を辞めることを決めていて、それを上司に伝えることについては迷いがなかったのだ。
 実は彼にとって未知だったのは、部長がそれにどのような反応をするかであった。自分のように営業職→退職→学びなおし、という方針変換をする人間が部長にはどう映るのかがつかめなかったのだ。しかしそれを告げた時の部長の冷静でむしろ共感的な態度により支えられた、とある。自分の中に持っていたいわれのない罪悪感などを払拭することが出来「これでよかったのだ」という思いを持つことが出来たのであろう。この「他者から見えるであろう不可解さ」が解消されたことで、彼は自分の行っていることの分からなさから最終的に解放されたということだろうか。
 この様に部長により見事に救われた著者であったが、ではどうやってNCを持つことが出来るかという問題に彼は向かう。それは本を読んでも答えが見つからない。結局自分自身が「不確実さ・謎・疑惑の中に留まる」しかないということになるという。つまりNCとは答を他に求めるではなく,自分の中に求めるしかないということを意味するのだと著者は考える。自分は不確実性に苦しみ、じたばたする。そして起こした行動がある種の現実を突きつける。そして他人を巻き込むことなく、そこから学んでいくしかない。
 とすればNCからの救いは結局は他者を介するということになるのではないか。著者の場合はそれはほかならぬ部長だった。部長は部長で、著者と同じ「このままでいいのか?」という悩みを何年か前に持ち、その答えとして同職にとどまることを選び、またそれを受け入れた可能性がある。その諦めと受容があったらこそ、著者の葛藤もそれなりに「わからないながら」受け入れることが出来たのだろう。部長がNCを備えていたことは、著者の訳の分からない人生の決断を淡々と聞き入れたというところに表されていたわけだ。つまりそれはもうその人の人生のスタイルになり、他の人とは異なるユニークさであり、本書に登場する刑事コロンボも、結局はNCに対処する自分のスタイルを身に着けたのだろう。
 ちなみに評者はNCの一部は不可解さを楽しむ能力ではないかと思う。不可知であることは裏を返せば、自分のその事柄への対処は無限の自由を秘めていることなのである。