引き続き痛覚変調性疼痛③についての話。この③は、①手足などの体の痛みを持つ体の部分の組織の損傷が見られるもの、②その部分と中枢を連絡する神経の病変のあるものによる痛みのどちらでもない痛みである。たとえば指を刃物で怪我すると、組織の損傷があるから痛い(①)。あるいは中枢に向かう神経が途中で椎間板ヘルニアなどで骨や組織に圧迫されても痛い(②)。そしてこれまで神経内科は①②のみ扱ってきた。ところが実際に外来に訪れる患者には、どうもそれ以外の痛みとしか言いようがないものが多い。そこで③が注目されるようになったのだ。しかし従来はそれを第三の痛み、として正式に扱うことがこれまではなかった。それがどうしてこうなったのか。
一言で言えば脳を通して心が見えるようになったからだろう。つまり痛みを感じる中枢はしっかり反応をしていることが見出されるようになった。そしてこれにはMRIやCTなどの画像技術の発展が関係している。これまで傷もないのに「痛い」という人をどこまで信じられるかについての答えはなかった。しかし今では「痛い」に対応する脳の変化を見出すことが出来るようになったからだ。私たちが本当に痛い、と感じている時には脳のどこかでそれに相関 correlate する部分があるはずだ。それは①や②とは独立してあるはずである。(そしてそこは①や②でも同時に反応しているからこそ、それらの時も痛いのだ。)それが見られるようになったということか。 どうもそこまでは行っていないようなのだが、ここで重要な概念があり、それがいわゆる「中枢性感作」ということらしい。明確な画像に表されなくとも、明らかに脳内である異常事態が起きていることがあるという理論が提唱され、それがこの「中枢性感作」という概念だ。そしてこの③の例として、なんと、片頭痛や線維筋痛症などが例として挙げられるのだ。これはまさにこれまでの「心因性の身体症状」にそのままとってかわるものとなる。これは精神医学にとっても、そしておそらく脳神経内科学にとっても大激震なのだ。「身体科からの歩み寄り」などと悠長なことは言っていられないのだ! さてそのような動きを精神科ではどのように受け止めるのか。一言で言えば、脳神経内科から多大な恩恵を受けることになるのではないか。少なくとも精神科医は、③の訴えをする人たちの脳科学的な研究は行っていなかった。あくまでも臨床所見から判断するしかなかったのだ。しかし神経内科医が③を診断することにより、精神科医はそれに頼る形で精神医学的な診断としてのFNSを行うことになる。しかしこれでは精神科医のプライドはどうなるのだろうか。 プライドの問題はさておき、精神医学の臨床の場では最近は私はペインクリニックの先生方にとてもお世話になっている。患者さんの中に身体的な訴えがとても多く聞かれ、ペインクリニックや脳神経内科の先生に片頭痛や線維筋痛症の診断をお願いして、一緒に診ていただく。そして精神科医としては処方することに心もとない様々な痛みをコントロールする薬を処方してもらえているのである。