2025年2月18日火曜日

関係論とサイコセラピー 4

昨日書いた岡田氏の主張は実はトリッキーなところがあり、精神療法から精神分析へのかなり大胆な挑戦というニュアンスも感じる。「週一回」はそれ自身に独自の意味があり、それ自身はどうであってもそこから砂金を拾って加えていくことができる。そして金に銅を加えたものと、銅に金を加えたものは違う、という主張である。 「序説」では平井正三氏の論文も参考になった。彼は一方ではストラッキーの変容惹起性解釈についてそれを精神分析の治癒機序として挙げているが、同時に米国では「週一回」は合金でも、英国では本質的には週4回の精神分析と変わらないという考えの方が優勢であると指摘している(Tayllor, 2015)。これも後程引用させていただこう。 「序説」の中で私が一番取り上げたいのは、村岡倫子氏の「治療経過とターニングポイント」である。彼女のターニングポイント論は、「治療構造にまつわる現実的要因」(128)に根差したもので、その意味では岡田氏の考えに近い。そしてそれがある種の治療者―患者間の出会いの契機のようなものを生むと考えている。村岡氏がここで用いている小此木の引用は貴重だ。少し長いが書き取ってみる。 「治療者の意図を超えて与えられるか、治療者・患者間に気づかれないまま形成されている治療構造を認識し、その意味を吟味したり、治療者が意図的に守ろうとしている治療構造が偶発的ないし一時的に破綻したり、あるいは意図しない要因がそこに介入したりする場合に、そこにどのようなあらたな治療関係が展開するかを理解し対応する技法などを含んでいる」(小此木の治療構造論からの引用で間違いないであろうが、村岡はここで引用ページを書いていない。あとで自分で探してみよう。)

ただそれにしても…週一回が週4,5回よりも「現実的」というのはそうとも言えないのであり、週4,5回の方がよほど現実の出来事をピックアップしてもおかしくない場合もあるのだ。まあ週一回だとセッションが現実的な報告事項に費やされて、心の内側に入っていけないという点は確かにあるが、それ以外にも週4の場合に分析家が現実的な話をなるべく回避するという、治療者自身の態度にも関係しているのではないだろうか。