このテーマ、しばらく論じていなかったから、書いたことは一通り忘れている。そこでもう一度最初から議論を練り直したい。ということで早々と「推敲」なのである。 そもそもこの話は男性がなぜ懲りずに同じ過ちを起こすか、という疑問から始まった。そしてこれは「繰り返される過ち」の中でも特に男性に特異的らしいという気付きがあった。例えばパワハラを考えよう。男性でも女性でも、権力をもった人間はそれを乱用する傾向にある。そこには自己愛の病理の問題があるといっていいが、そこに基本的に男女差はないだろう。あるいは暴力性や攻撃性。言語的なそれと身体的なそれがあるが、これには男女差はあるにはあるが、それは相対的なものである。男性は男性ホルモンのせいで暴力傾向は女性より強いであろう。しかし深刻なDVは通常は男性が加害者と相場は決まっているが、多くの夫婦で相互の暴力(殴り合い、取っ組み合い)が聞かれる。また暴言などは女性にもかなりみられる。暴言に耐えられずに男性が暴力に訴えるというパターンも多い。(実は私の両親にちょっと似たようなパターンがあることに私は幼少時から気が付いていた。) そこで性被害、性加害の問題である。更には性倒錯、例えばペドフィリアにかかわる性暴力。これに関しては圧倒的な性差がある。女性の加害者は例外でしかない。ここに性加害の問題の本質を男性性からとらえることの必要性が生まれる。それは自己愛の病理や暴力性、攻撃性の観点だけでは説明できない何かがある。そこには男性の性愛性(というよりは男性の「性性 sexuality」というべきもの ) がかかわっていて、おそらく多くの男性はそのことをどこかで知っているはずである。 このことを表す概念としてセックス依存 sex addiction や強迫的性行動 compulsive sexual behavior が挙げられる。これらがどこまで有効なのか?それを検討したい。