2024年10月10日木曜日

解離における知覚体験 2

ところでオリバー・サックスの著書はこのテーマにとって格好の参考書となる。(Sacks, O (2012) Hallucinations.  Vintage. 太田直子訳(2014)幻覚の脳科学 見てしまう人びと. 早川書房)

そこではサックスは脳の一部の過活動により幻覚が表れるメカニズムについて論じている。いわゆるシャルル・ボネ症候群は希なものとされていたが、盲目の患者の多くに奇妙な幻覚体験が聞かれることを示している。
結論から言えばこうである。大脳皮質に対して入力が途切れた場合、そこに何らかのイメージが投影され、それが幻覚体験となって表れることがある。それがCBS(シャルル・ボネ症候群)である。この現象の示唆するところは大きい。そもそもこの幻覚に何らかの意味があるかという問題を提示するからだ。
これについていみじくもサックスは次のように述べている。(P.39)CBSについての報告が、1902年、すなわちフロイトの夢判断が刊行された二年後に心理学雑誌で公表された時に、CBSも夢と同じように「無意識に至る王道」と考える人もいたという。しかしこの幻覚を「解釈」しようとする試みは実を結ばなかったとある。そして内容に没入する夢と違い、CBSの患者は冷めた目でそれを観察し、「その内容自体は中立的で感情を伝えることも引き起こすこともない。」 ところでこのCBSの話で思い出されるのが、感覚遮断の問題だ。これは「囚人の映画」と呼ばれるという(p.52)。囚人が明かりのない地下牢に閉じ込められると、様々な心像や幻覚を見るようになるという。しかもそれは感覚遮断の状態である必要はない。単調な刺激でも起きるという。 サックスの記述する囚人たちの体験する幻覚の進行具合はとても興味深い。最初はスクリーンに映し出される感じだが、そのうち圧倒的な三次元になる。そしてこう書かれている。「被検者たちは最初ビックリして、そのあと幻覚を面白い、興味深い、時にはうるさいと思うが、まったく『意味』はないとする傾向があった」(p.54)。ここが私が注目するところである。この(自分にとっての)意味のなさが他者性としての性質を帯び、それはまさに解離性の幻覚も同様であるということが言いたいのである。