2023年12月7日木曜日

未収録論文 15 男性の加害性

 実は色々物議をかもした発表。聴衆から抗議の声も上がった。 

       男性のトラウマ性

  •      今年8月6日のJFPSP公開セミナーにて「社会的トラウマと精神分析~差別、分断、偏見」というタイトルで発表

  •  本発表では男性性が持つトラウマ性について論じたい。社会において男性がいかに他者に対してトラウマを与えているかということについて、同じ男性目線から何が言えるのかについて考えてみたい。
     まず問題意識としては、過去および現在の独裁者や小児性愛者や凶悪犯罪者およびサイコパスのほとんどが男性であるのはなぜか、という疑問がある。これほど明確な性差が見られる社会現象が他にあるだろうか。そしてそれについて男性自身による釈明は十分に行われているだろうか。これは大いに疑問だろう。
      実はこの問題について、私は特に深刻な問題を体験している。それは男性による性被害にあった女性の患者に対して、そこで何が起きていたかについて一緒に考える際、男性の性のあり方についてどのように説明したらいいかについて常に悩むのである。説明の仕方によっては患者の心の傷を深めることさえあるのではないかと考える。

  •   ある大学生の女性は、属している部活の飲み会に参加し、そこで尊敬している男性部員と少し長く話す機会を持った。彼女はその先輩に対して尊敬の念を以前から抱いていたので、少し個人的なことも話し、それを聞いてもらってうれしく思ったという。そして二次会に誘われた時も喜んで参加した。ところが・・・


  • (中略)


  •  「男性はそうやって豹変することがありますよ」と説明するとしたら、何かその先輩を擁護しているようで、私自身も不信感を持たれてしまうかもしれないのです。 

  • 男性ホルモンの問題がここにあるんですけども、一応あのこの話はおそらく非常に重要でありながら、最後は時間があまったら立ち戻ってくることにしましょう。非常に大きな問題なんですけども一応ここでは割愛して進めます。 


  • 男性がなぜ男性の加害性について語らないのか?

  •  さてまずは男性性の問題についてあまり男性が語らないのはなぜかという問題から問いたい。それは男性自身が持つ恥や罪悪感のせいだろうか? そうかもしれない。そもそも男性の性愛性は恥に満ちていると感じる。それは何故か。(ここで男性の持つ性愛性、という言い方をするが、本当は「男性の性性 male sexuality」とでも表現すべき問題である。しかし分かりにくくヤヤこしいので、ここではあまり呼び方にはこだわらないことにしよう。)

  •  ともかくも男性は特に罪を犯さなくても、自らの性愛性を暴露されることで社会的信用を失うケースがなんと多いことか? 最近とある県知事が女性との不倫の実態を、露骨なラインの文章と共に暴露された。またある芸人は多目的トイレを用いて女性と性交渉をしたことが報じられて、芸人としての人生を中断したままになっている。

  •  さてパラフィリア(小児性愛、窃視症、露出症、フェティシズムなど)が極端に男性に偏る事と関連しているのか?(パラフィリアのみが精神障害と結びつけられるのはなぜだろうか?) パラフィリアは昔倒錯 perversion と言われていたものだが、その差別的なニュアンスの為にパラフィリアという表現が1980年のDSM-Ⅲから用いられている。英語で「He is a pervert!」というと、「あいつは変態(パーバート)だ!」というとかなり否定的なニュアンスの、差別的な意味合いが込められているからだ。
     そのパラフィリアの問題っていうのは深刻な問題だと私が思うのは、これは最近あれほど叫ばれている性の多様性にカウントされないということである。つまりこの種の性癖はそれを持っているっていうことが決して自慢にはならない。つまり多様性の中に中に入ってこないのだ。なぜ入ってこないのか、といえば、それはそれで問題なんじゃないかということも出来るだろう。パラフィリアには例えば露出癖がある。もちろん「露出癖を持つ人たちも差別をしないでほしい」という運動は起きないでしょう。しかし例えばフェティシズムも含まれるが、無生命のものに恋する人たちが差別的な扱いを受けることに反対することはない。


  • (以下略)