2023年9月4日月曜日

連載エッセイ 8 推敲 2

 右脳が先に働きだす-愛着と発達の関連

 右脳に関して一番興味深いことは次のことである。右脳はおそらく人間の基本部分を担っているのだ。そもそも赤ん坊が最初に心を持ち始める一年間の間、脳はもっぱら右側しか機能していないのである。最初の外界との接触、そして母親とのやり取りなどは、すべてこの右脳が行なうことになる。だから心の基本部分は右脳にまずは出来上がるというわけだ。

 そもそも右脳の主たる機能は、この世に生を受けて生まれ落ちた赤ん坊がまさに必要としているものである。右脳は外部からの情報の全体を捉え、空間的な大枠を理解し、相手の感情を読み取り、非言語的な情緒的な交流を行うことが出来る。つまり世界全体を大づかみに把握することだ。そしてそれはまさに赤ん坊が生れ落ちてからさっそく必要としている事である。

 赤ん坊は見えるものの詳細部分を分かる必要もないし、母親の言葉のニュアンスを理解する必要もない。これらは左脳の役割だが、生下時にはさしあたって必要がない。そしてそれもあってかまだ左脳の準備は整っていないのだ。さらには左右脳をつなぐケーブルである脳梁自体が最初の一年は十分に機能していないため、情報交換も十分できない。ということで赤ん坊は右脳のみの片肺飛行と言ってもいい。(ただし身体を動かし、感じるという機能は左脳でも生下時に既に開始している。)

 この右脳優位の状態で赤ん坊は最初の一年でみっちり母親との関りを行う。そして最初の言葉を発する以前から、赤ん坊は人としての心の基礎を築くのである。つまり快不快に応じて身の処し方を決め、相手との言葉以前の意思の疎通を行なうことが出来る。

 そして考えてみて欲しい。これが人間の心の本質部分ではないか。世の中で起きている事を知り、その全体を大枠においてつかみ、自分に関わってくる人に不安や恐怖を覚えたり、満足を味わったりする。そこで相手の心情をつかみ、それに応じて関わりを持つことが最も大切なのだ。つまり赤ん坊はすでに右脳のみにより生きるという基本的な営みを行なうことが出来る。

 すると左脳による言葉による理解や表現はことごとく付け足し、あるいは右脳により行っていることの保障、あるいは後付けや正当化をするために発達していくものなのである。細かいことに注目し、運動や発話による表現の微調整等は二の次なのだ。ただしこれに人間は非常に拘り出すことになる。いわゆる発達障害や強迫性障害はことごとく左脳が生み出した問題なのだ。

  生後一年の、概ね右脳だけの言葉を話す前の赤ん坊が、生物としてはすでに完結しているという考えは極端であろうか? そうではない。例えば身近なペットのワンちゃんを考えて欲しい。彼らはもっぱら右脳的な心で生きているというところがある。犬の左脳は言葉を扱えないが、おそらく飼い主からの簡単な指示を理解すること等に働いているだろう。あるいはAが起きたから次はBで、次は恐らくCだ、というような物事のシークエンスを理解するのも左脳かも知れない。しかしワンちゃんの存在意義と言ってもいい、人の心の情緒的な側面をつかみ、関わってくる部分は、ほぼ右脳機能と言っていい。それで人間のパートナーとしてすでに完結しているのである。

 ちなみに赤ちゃんを育てる側の母親もまた、右脳を全開にしていることが、アラン・ショアの研究などにより知られている。母親は恐らく赤ちゃんにいろいろ言葉をかけているのであろうが、もちろんその具体的な内容までが通じているとは思っていない。母親は声の抑揚や優しい表情などで赤ちゃんと心を通じさせるのである。この時に主として機能しているのは母親の右脳である。母親は赤ちゃんの置かれている状況を大づかみで理解し、自らの情緒を用いて赤ちゃんと関わる。右半球は情緒と表情の処理だけでなく、声の抑揚、注意、触覚情報の処理にも関与することを思い起こしていただきたい。そしてここに母親の右脳と赤ちゃんの右脳どうしの一種の交信が起きると言われている。両方が共鳴ないし共振し合っていると言っていい。二つの音叉を並べて片方をハンマーで打ち音を鳴らすと、もう一つも鳴り出す。

 母子の間の右脳を介した交流は、それを示唆するような研究がなされている。二人の人間が互いの模倣などを通して関りを持つ時、両者の右脳の間で脳波の同期化が見られるという研究がある。(Gouillome Dumas ら)