2023年6月3日土曜日

学派間の対立 3

 これは何度も私が書いていることだが、ここで例に出すとしたらやはりこれしかない。1992年、私がメニンガーのレジデントの3学年目に持ったケースだ。私はバイザーの指示に明らかに憤慨した。この様な考え方は受け入れられないと感じた。それはそのバイザーが背景とする学派にも向けられていたと思う。少なくとも彼が指導するようにはケースに当たることは出来なかった。だから自分としては二つの考え方の一つを何となく選択した、というわけにはいかなかった。その例を挙げてみる。

そのころ35歳だった私は7歳の少年M君の精神療法を担当した。M君は性的虐待と両親の離婚の犠牲者である。彼は結果的に母親に捨てられる形になり、父親とその親戚のもとに引き取られた。M君との精神療法は、私がレジデント3年目の週一回の精神療法の枠で担当し、4年目に進学する際には終了することになっていたが、多くの例外が設けられていたため、4年目になっても引き続きM君の担当が出来ると考えていた。

さて一年がもうすぐ終わり、レジデントの4年目にも引き続き彼とのセラピーを続けられるつもりで、バイザーAに許可を取りに行ったところ、それは出来ないと言われた。あくまでもレジデントの3年目以内に終わらせるべきだ。それがルールだからということであり、A先生はそれをかなり厳密に守るタイプの分析家だったのだ。私はA君に精神療法を次の年度になっても続けられるような期待を持たせたことに後ろめたさを感じ、もうすぐ精神療法を終了しなくてはいけなくなったことについて、「M君、もうすぐこの精神療法を終了しなければならなくなった。こちらの都合で申し訳ない。」と言った。M君は「別に気にしないよ」といいながら寂しそうだった。

私はその経緯をA先生に話したが、こう言われた。「君が謝罪したことは誤りだったね。それは逆転移のアクティングアウトというものだ。母親に捨てられた体験を繰り返そうとする君に対して、M君は怒りを表現してしかるべきだろう。ところが君が先に謝ったりしたから、M君はその怒りを先に封じられてしまったのだ。」 

私は狐につままれたような気になった。「そうなんだ・・・・・」と理屈では思える気がしたが、やはり納得が出来ない。そこでもう一人の私の成人のケースを担当してくれているバイザーBの意見を聞いた。彼は「僕の考えはA先生とは違うな。君がM君に謝らないとしたら、キミの罪悪感を防衛していることになるね。それこそアクティングアウトだ。」

私はドクターAの意見が受け入れられなかったというよりは、そのような考えを醸成するような精神分析的な伝統に嫌悪したのである。 

私は医者になって10年目だったが、3年前までは学派に選り好みはなかった。でもそれから3年たち、私はかなりはっきりと、その二つの考え方に異なる匂いを嗅ぎ、そして激しくバイザーAの意見を嫌悪した。そして考えてみれば、それをその時に初めて体験したというよりは、バイザーA の意見を「また例の態度だな」と、あたかも随分とそれを感じさせられてきたように感じたのである。

これは何度も私が書いていることだが、ここで例に出すのがふさわしいであろう。例のクライン派とコフート派のケース。1992年に持ったケースだ。明らかに私は憤慨した。両方ともありうる、と私は考えないわけにはいかなかったが、自分だったらこういう風には出来ないと思えた。そう、自分で出来るかが関係している。親にいつも怒られた(決して褒められなかった)という体験と逆の体験をしてどうなるか。ということだ。