2023年4月10日月曜日

うつ病座談会 2

 次は現代の患者さんの関係性の持ち方というテーマについて考える。最近鬱症状を訴える方に多い、「人間関係が壊れるのが怖い」、「批判されると傷つく」、「自分のことを分かって欲しい」、などの問題は私自身の文脈では「過敏型自己愛」の問題と言えるが、これが最近増えて来たかということについては少し疑問に感じる。というのもこれらの懸念は社会生活を営む私たちが常に持っているはずのものだからだ。ということは、現代はこれらの自己愛的な問題について、外に向かって主張できるようになったということだろうか。つまり「僕のことをちゃんと構ってください」ということが恥ずかしがらずに言えるようになったということか。私は人間社会は少し前まで極端に自分の弱さや依存欲求、甘えを出せなかったのではないかと思う。それを表立って表現できるようになったのが現代社会なのだ。みな多かれ少なかれ「カマってちゃん」になったのだ。このことは米国における社交不安障害(日本における対人恐怖)の一種の流行を思い出させる。人前で緊張する、人前が怖い、という訴えは40年前は欧米ではめったにないとされていた。ところが今では米国では不安障害の中で最も高い有病率を占めていると言われているのだ。

この問題はパワハラという言葉が用いられるようになったことと深く関係しているであろう。パワハラがより多く報告されることになったのは、パワハラが多くなったからではなく、それと認定されたことになり、それを訴えてもいいんだということになり、それが言葉として出るようになったのであろう。それとともに上司にきつく言われることをトラウマとして体験する人も増えたというわけだ。(ではそれ以前は?おそらく抑うつ、不安、ないしは身体症状として表現されていたのではないか。)

IT対人交流ツールの影響について。何しろ常に人からの評価をモニターできることになり、きわめて対人過敏になっている状態と言えるのではないだろうか。ツイッターで何かを発信した人は、その直後にフォロワーの数だとか、「いいね」の数をものすごく気にし、チェックをするようになるから。ラインなども、直接の返事を聞かなくても、既読スルーされたか、という微妙なニュアンスまでわかるようになっている。私はそれが一種の嗜癖のような問題を起こすと考えている。それにつれて対人関係においては余計に侵入的な事態が生じているのではないだろうか。私のあるクライエントは、家族ラインにより常に母親や父親から話しかけられている状態であるという。これほどストレスなことがあるだろうか。私は17年アメリカにいたが、唯一の連絡の方法は一分間100円はかかる国際電話だった。それがちょうどいい距離を保ってくれていたと思う。