2023年4月8日土曜日

地獄は他者か 推敲 4

過敏性そのものが自らの敵となる 

最近になって私がたどり着いた結論は以下のようなものである。ヒューブリスや自己愛の問題に最も直結しているのは、おそらく羞恥なのだと。人がますます武装するのは、おそらくこれなのだ。

まず敏感さについて。これはそのものが十分私たちにとっての敵となる。

この現象について以前にも書いた内容を振り返ろう。イヤホンで音楽を聴きながら街に出ると、周囲の人が気にならないということがある。それに自分の足音が聞こえない。それ以外にも自分という存在が立てている何らかの音が軽減されて、全体として自分自身が発している情報が減る。それに意識の半分は音楽により占められているからだ。だからその音楽は自分の好きなものでなくてはならない。

同様のことはマスクにもサングラスにも言える。マスクは少なくとも自分の顔半分を隠してくれる。だからコロナ禍から脱出している今、「マスクロス」を訴える人が多くなっているのだ。またサングラスをかけていると、向こうには私の視線は恐らくあまり見えていないから、自分の視線が相手に対して与えている影響の要素はかなり軽減される。すると無限反射の威力は随分軽減される形になるのだ。オンラインの場合の「カメラオフ」にも似ているであろう。とにかく対人関係はきわめて錯綜した体験が起きていて、少しでもその量が減ることが対人緊張の度合いを減らすことが出来るのだ。

ここで私が言う過敏性については、例のHSPの概念とも無関係ではない。HSPの人にとっては、「他人が自分をどう思っているか」についても敏感だという可能性もある。HSPの提唱者であるエレーン・アーロンによれば、彼女の言うDOESのうちEは「感情反応が強く、共感力が高い」ということになっている。そしてそこで挙げられている項目は、

1.人が怒られていると自分の事のように感じてしまう。

2.悲しい映画は登場人物に感情移入してしまい、号泣する。

3.相手のちょっとしたしぐさで、機嫌や思っていることが分かる

4.言葉を話せない幼児や動物の気持ちを察することが出来る。

 このうち3は対人過敏性のことを言っているようにも読める。他者がその人をちらっと見て「あ、人がいる」という単にそれだけの反応しか見せなかったとしても、当人は「見られた、まずい」となっているとしたら、これは「相手の気持ちがわかる」という能力よりは、その人の特性ということになる。それに場合によってはそれが容易にオーバーシュートしてしまい、被害念慮に繋がることも十分にあり得るのだ。