考察および結論
私がこれまでに示した考えをまとめよう。私は他人に関心がない、人との関係で心が動かないという人はおそらく例外的であり、「関係が希薄で孤立傾向のある人」の大多数は、他者との関係の中で不安や恐れを抱き、そのしんどさの為に人から距離を置くのだ。ミスタースポックのようなロボットのような人間は、皆無というわけではないが少ないのだ。(ひょっとしたらサイコパスのごく一部なそうなのかもしれない。)もちろん人嫌いで孤独を好む人もいる。でもそれは他人に関心がない、というのとは違うのである。他者で膨大なエネルギーを費やすということを選択していないだけなのだ。そしてさらに複雑なのは、人は「視線を浴びることの快感」も持ち合わせていることが一般的であるということだ。その背景に多く見られるのが対人恐怖心性なのである。
ここで私は対人スキルとして1,2の二つを提唱したい。一つ(対人スキル1)は対人場面において場の「空気」を読む能力である。ここでいう「空気」とは対人間に広がる心理的な空間であり、そこに広がる「しらけ」という空隙を互いがどの様に扱うかをめぐる心理戦である。そして「空気」を読むには相手の心に何が起きているかを感じ取る能力が必要となる。これも対人スキルの重要な要素なのだ。それが不足していると、相手もこちらの意図を測りかねて当惑し、対人場面は余計に居心地の悪いものとなる。「空気」を読めなくてもその居心地の悪さだけは当人に伝わり、対人場面はより苦痛に満ちたものとなる。
もう一つの対人スキル2は、対人恐怖心性と結びついている。人には他者に見られても構わない(見せたい)部分と見せることを望まない(隠したい、恥と感じる)部分がある。そして前者だけを相手に見せ、後者を巧みに隠すことが出来れば、その人はそれだけ高い対人スキルを備えていることになる。それが上手く行かなければ人と接することで恥ずべき自分の漏れ出しが生じてしまうのでそれを回避せざるを得ない。ただし人によってはあまり他者に見せたいという願望がない場合、つまり自己愛的なニーズの低い場合もあり、その場合には他人と交わることにそもそも関心を持たなくなり、結果的にドクタースポック型に近づくのであろう。
以上論じたうえで最初の質問に戻る。対人関係が希薄で孤立傾向のある人々について、ASDかPDかという鑑別診断のポイントは何か?
最近の研究が示唆する通り、ASDでは社会的認知が低く、ToMが十分成立していない可能性がある。つまり上記の対人スキルのうち「空気」を読む能力が十分でない。いわゆるスキゾイドPDは、基本的には空気がある程度は読めても、もう一つの対人スキルが低く、恥ずべき自分の漏れ出しの制御が上手く行かず、そのために対人場面をストレスと感じる。