2022年12月17日土曜日

意識はどこから来るのか? 1

 意識はどこから来るのか? 脳科学的に問う

 クライエントAさんがこう尋ねてくる。

「父の亡骸を横にしてふと考えたんです。あれほど激しい父親、いつ鬼の形相になるかわからなかった父親もこうして死に顔を見ていると、本当に穏やかなんです。人間っていったい何だろうか、と私はふと思ってしまいます。あのろくでなしの父親の魂が宿っていたからひどい人だったけれど、本当は穏やかな人だったかもしれないな、と」。
 貴方はこう答えるかもしれない。「まさにその通りですよ。別の魂が宿っていたらきっと別人だったかも知れない。でももっとひどい魂ではなかった分だけよかったのかもしれませんね。」こう言ってしまい、Aさんがなき父親に未だに持っている筈に違いない怒りを表現する機会を、今の言葉で奪い去ろうとしていたのではないかと危惧するだろう。
 しかし「脳科学」に偏重気味のあなたは、別の答え方をするかもしれない。「いや、実は目の前のお父さんが持っていた脳が、お父さんその人だったんです。あなただって、お父さんの脳に入っていたらおそらくお父さんの様に理不尽なふるまいをしたかもしれません。」こう言いながら、「いったい自分は何を言っているのだろう?」と訳が分からなくなってしまいそうな気分になるかもしれない。
 心とは何か。意識とは何か。そもそも「私は私である」という体験はどこから来るのだろうか? 宗教家により、哲学者により、あるいはそれ以外のあまたの人々によって、これまで何度となくこの種の問いがなされてきた。いわゆるハードプロブレムである。私達はこの問題についてじっくり考える必要がある。なぜなら私たちは死ぬ運命にあり、死んだらこの私という感覚、すなわち私の意識はどうなってしまうのだろうということにある程度の考えを持たずにはいられないからだ。もちろん別にそんなことは考えなくてもいいと思うかもしれない。でもそれは、死という運命に最後の瞬間まで目をそらしているということになる。これはこれで恐ろしくはないか?あるいは心について扱うことを生業にしているこの連載の読者は、おそらくこの問題にそれ以外の人よりは注視すべきなのだ。なぜなら「死後はどうなるのですか?」と問うてくるクライエントさんに何の助けにもなってあげられないからである。
 「意識とは何か?」についての最終的な結論は先人たちが出している。そしておそらくそれ以上のアイデアは私たちに浮かばないであろう。それは意識とはバーチャルなものであるということだ。「空」と言ってもいい。色即是空の「空」であり、形のないもの、である。