2022年12月3日土曜日

脳科学と精神療法 デフォルトモード 4

DMNの臨界状態としての特徴は、その創造性、ないし独創性にある。アルファ碁の打った奇妙で独創的な手について考えよう。それは間違いなくそのカオスとしての特徴に由来する。それは常人が理論的に導き出すものとは異なる。思わぬ手がアトラクターに成長する可能性があり、そこには高度のランダム性が含まれる。

例えば手塚治虫は漫画を描きながら、「アドルフに告ぐ」はヒトラーがユダヤ人だったら、という発想が湧いたという。彼が音楽を聴きながら漫画を描くとき、そこから生まれる何らかのアトラクターの芽を呼び込んでいたということが出来る。それはその目が優れたアトラクターに成長するという運命だったからというよりは、発想者による特別な注意を向けられることで成長したものということが出来るかもしれない。たしかにアルファ碁では特定の手がいくつかの選択肢の中に入り、それが高い点数を獲得したのであろう。それはアルファー碁の内部である種のルールに従った結果であろう。そこにはある程度の客観性が伴う。しかし曲作りなどの場合、独創的なメロディーに価値を付与するのはその人の持つ審美性、感性ということになり、それ自体が恣意性を帯びることになる。しかしともかくもそれがアトラクターとして成長する裏には、臨界状態のDSMが有する独特の不安定さが関係している。ある発想が生まれそうで生まれない時のもどかしさを経験しない人はいないだろう。それはある種の不全感を私たちに抱かせる。そしてそれは一つのアトラクターが生まれることでそれを中心に結晶化されていくのだ。 

DMNにおける他者性

独創性の中にすでに潜むのが他者性の問題である。何度も出す例としてポールマッカートニーが夢で出会った「イエスタデイ」という旋律。彼はそれが自分から生まれたという確信がなく、すでにどこかで聞いた曲が残っていたのではないかと思ったという。その時点でその曲は自分から出たという感覚から遠くなる。この様にアトラクタには他者性が既に存在しているのだが、通常はそれが自分から出ているということを感じている。ところがどこからかそれは他者に由来したという感覚が伴うことになる。
 これは身体感覚に関しては、時間的なズレであるという。自分が触って一定の時間(例えば0.5秒)が経つと、それは自分の由来ということに気が付くという。ところがそうでないと他者由来として感じ取られるという。