2022年8月2日火曜日

パーソナリティ障害 推敲 5

 PDの概念はまた精神分析理論の影響を大きく受けている。Freud は子供の発達段階におけるリビドーの固着とそれぞれに特有の防衛機制について考え、そのうちどれが主として用いられるかにより特有のパーソナリティが形成されるという考えを示した。Freud は「性格と肛門愛(1908)で肛門性格について論じ、「几帳面、倹約家、わがまま」の三点を挙げた。これらは肛門領域に快感を持っていた子供が、その欲動が交代した時に残る性格傾向であるとした。
 Abraham, K (1953),Freud, S. 理論を引き継ぎ、精神性的発達の停止と関連づけられた性格論(口愛性格,肛門性格) を提示した。そして口愛性格に関して、(Abraham, 1924)。リビドーが口愛期に固着することで、情緒的な依存性や口愛的な嗜好性(食物・喫煙・飲酒)を有する性格を得る。土居はそれを「いつも相手に期待し、何事についても誰かが自分の為にお膳立てしてくれるものと決め込むタイプ」と言い表している。

それらの議論を引き継いだ Wilhelm Reich はヒステリー性、強迫性、男根-自己愛性パーソナリティなどを論じたが、さらに包括的な「性格分析」という概念を提出し、それが個人にとっての防衛となっているという考えを新たにした。
 精神分析的なPD論が一つの隆盛を見せたのは言うまでもなく全盛期半ばより始まったBPDに関するものであった。それは一見神経症圏にあるものの精神分析治療の適応となりにくい一群の患者がHoch, PH (1949) Polatin P. Robert Knight1953)により見いだされたことに始まった。そして1970年代以降Kernberg によりその精神分析な理解やそれに基づく精神分析的精神療法が論じられるようになった。とくにKernberg のまとめた「境界パーソナリティ構造」の概念は、他の様々なPDを含んだより広い上位概念であるといえる(Kernberg, 1967福井P21)。そして同時にGunderson(1975) ,Grinker (1968) らは精神医学的な症候学や疫学の見地からBPDをとらえようという立場を生んだ。これ以降BPDPDのいわば代名詞としての位置づけを得ることとなった。これらの議論を取り込んだ形でなお精神分析的な色彩の強いDSM-Ⅲが1980年に成立したという経緯がある。
 その流れで言及されるべきなのは、米国において1970年代より盛んに論じられるようになった性的身体的トラウマと精神疾患の関連であった。その中でもJudith Herman による複雑性PTSDの議論はICD-11でのCPTSDの採用に繋がったが、そこで論じられたのは、幼少時ないしは繰り返し体験されたトラウマが人格形成に及ぼす深刻な影響であった。