2022年7月15日金曜日

パーソナリティ概論 10

 DSMにおけるパーソナリティ障害(PD)の歴史を書いている。書いていて勉強にはなるが、あまり面白くない。参考う文献で読む井上先生、加藤先生、いい仕事をなさっているなあ。

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 1968年のDSM-ⅡはICD-8の発刊に触発され、ヒステリー性PD、無力性PD、爆発性PDなどSchneider の分類を色濃く残したものとなった。

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上記の経緯から1970年代より米国ではBPDNPDについての議論が一般化し、それが1980年のDSM-Ⅲにはそれらを含めて10PDが提出され、現代的なPD論の先駆けとなった。この10の累計は2013年発表のDSM-5にまで、つまり30年以上にわたりほぼこのままの形で引き継がれることになった。DSM-Ⅲで画期的だったのは、多軸診断の導入である。第2軸に導入されたPD及び精神遅滞は、早期の発症と持続性の病態を特徴とした。しかしPDが第2軸に移ったことで、それが第一軸に比べて軽傷であると誤解されたり、一軸の診断と多数併存するという問題が生じた。(井上弘寿、加藤敏 DSM-ⅠからDSM-5に至るパーソナリティ障害―カテゴリカルモデルの変遷とディメンショナルモデルの台頭. DSM-5を読み解く 5 神経認知障害群、パーソナリティ障害群、性別違和、パラフィリア障害群、性機能不全群 中山書店)

DSM-Ⅲにおける境界性PDは,統合失調症と症状論的に近縁の患者が統合失調型PDに,そして対人関係.感情の不安定さを主徴とする患者が境界性PDに二分されることとされた.またこれらの10PDは、風変りさや奇妙さを特徴とするA群、感情的で判定なB群、不安や恐怖を特徴とするC群に分けられ、これも以後継続されることになった。

DSM--RDSM-Ⅲに対してマイナーチェンジが加えられ、ポリセティック(多元的、林先生の表現では「一神的」、つまり基準のいくつを満たせばOKというもの)なものとモノセティック(基準をすべて満たさなくてはならないもの、「多神的」)なものに分かれていた診断はすべてポリセティックなものにと移された。