S山 ぼくは交代人格に会わないという人のものを読んだことがありますが、精神分析系の人なんですね。どうもフロイトに逆らえないというか? どうなんでしょう?
岡野: … 私に向けられた質問という事でいいですか? 私は日本に帰ってきて日本精神分析協会で解離性障害の話をする機会があったんです。そこで面接中に人格が交代することがあるという話をしたところ、当時の精神分析の大御所に、「私は子供の人格が出て来ても相手をしませんよ。あくまで本人と話します。」とサラッと言われました。そしてそれに対して他の先生方も何も言わなかったんです。これは私にはちょっとしたカルチャーショックでしたね。
N間 この件についてなんですが。たとえばAさんとの面接の中で、Bさんが出て来たとします。そして次の診察の時にまたBさんが出て来て、「先生、前回の診察で私が途中から出てきたことを、ちゃんと気付いてくれましたか?」と聞かれたりします。この方のように自分が変わったことを認めてもらいたいかという患者さんはいらっしゃいますね。患者さんの方も治療者をよく見ているところがあります。もちろんそのような質問が出る、という事は半分はわかってくれているという安心感があるんでしょうけどね。ですから私は気が付いたことは患者さんにフィードバックしていくのが大事かな、と思います。やはりスルーはよくありませんね。
S山 なかなか出てこない人格がいることがあるじゃないですか。そうした時には目の前の人に対して、「その人はどんなことを意図していると思いますか?」という風に聞きたくなる私がいます。その場合には目の前の人は媒介者という感じになりますね。
岡野 そうですね。そしてAさんに「でもどういう風にしてBさんに聞いたらいいかわかりません」と言われたら、「じゃあ心の地下室に一緒に行きましょう」という風にします。べつに地下室でなくても、ベッドでもソファーでもビーチでも、リラックスできる場所を決めておくといいと思います。そうしてそこに行って、AさんにBさんへのメッセージを伝えてもらううちに、Bさん自身が出てくるという事があります。
岡野 ここでチャットに質問が来ています。「何かの本で、聴覚と視覚を記録などが別々に活動しているという記載を読んだことがあります。私の患者さんも以前は様々な名前を名乗り、その際には声色なども変わっていたし、性別が変わって性別は変わった時もありましたが、最近はそれがなくなり、問われれば『秘書です』と名乗り、質問にはその場では答えられず、でもメモを取って帰られ、後で日記に返事が書いてあったりします。パーツ間の連携が出来ているようですが、これでいいのでしょうか」、というご質問です。これはパーツというか役割分担ですね。私が最初にお答えしますと、これは私がいつも言うメリハリのある解離だから、いいのではないか、と思います。
S山 部分というよりも役割ですから、あまり困らないというか、経過を見たいという感じですね。どこかが抜けてるっていう感じではないですし、全体が見えていて、その中に部分がある、部分から全体が見えてるという感じがしますね。全体と部分ということではなくて、部分がすなわち全体だった人間が全宇宙だ、というわけですけれど、半分冗談ですからごめんなさい。
岡野 ここら辺は私たちは安永浩先生の世界観がしみ込んでますね。