2021年10月5日火曜日

解離における他者性 4

交代人格を一人の人間として認めないという歴史

ここで歴史的な経緯についての話をしておきたい。実は交代人格を一人の人と認めないという歴史は非常に長いのである。それはなんとフロイトの時代にさかのぼるというのだ。フロイトがジョゼフ・ブロイアーと共に1895年に「ヒステリー研究」を書いた時、二人の間にはすでに大きな意見の食い違いを見せていたのだ。「ヒステリー研究」でブロイアーはアンナOという多彩な症状を表しているケースについて論じている。ブロイアーはアンナOに起きている興味深い現象を目の当たりにし、複数の人格が一人の中に存在するとしか考えられないという結論に達したわけである。それがブロイアーの類催眠ヒステリーの概念であった。類催眠状態とは今の言葉で言えば解離状態のことである。ところが最初はこの意見に賛成していたフロイトが、この「ヒステリー研究」の後半では、ちょっとした「卓袱台返し」をしている。つまり類催眠状態は基本的には認めないという主張だ。
 「私は自身の経験において真性の類催眠ヒステリーつまりは多重人格に出会ったことがない。私が治療を開始すると、その人は多重人格から防衛ヒステリーヘと診断を変更するしかなかったのだ。だがそれは、〔本来の意識状態と〕明らかに切り離された意識状態において成立している人格と、一度も関わりを持たなかった、とは言わない。私の扱った症例においても、ときにそうしたことは起きた。しかし、私はその場合にも、いわゆる類催眠状態において切り離されている意識は、以前から防衛により分離していた心的〔表象〕集合体が、その状態で効力を発揮していたという事情があるからだ、と証明できたのであった。」
 これはフロイトの主張を私が少し口語的に言いかえたものだが、このフロイトの、同じ本(「ヒステリー研究」)の中での方向転換は、本の前半の章と最後の章では書かれた時期が違うという事情が関係している。最初の章は1983年にフロイトとブロイアーが共著で出版した「暫定報告」の採録である。その著者はあくまでも「ブロイアー、フロイト」である。すなわち第一著者はあくまでもブロイアーの方である。ただしその内容はあくまでも両者が合意したものという事になる。ところが「ヒステリー研究」の第4章「ヒステリーの精神療法」はフロイトの単著と言う事になっている。そしてそこでフロイトは類催眠状態についての疑問について論じているのだ。