2021年9月5日日曜日

アメリカ人 6

 アメリカ人はやたらとカードを送る

  アメリカ人は贈り物をしない、という話をしたが、その代わりに非常によく送るのがカードである。ちょっとした売店にはさっそくカードのコーナーがある。誕生日用、クリスマス用、娘から父親への感謝用、などなど。大きめのドラッグストア―などではカードコーナーはより広くなり、デパートなどでは相当広い面積をカードが占める。なぜそれだけ広いカード売り場があるかといえば、そこに書かれているメッセージがバラエティに富んでいるからだ。その中から自分に最も適したと思われるカードを選んでそれを相手に送るのだ。
 とここまで書くと「そうか、アメリカ人は物でなく言葉で相手に気持ちを表現するのだ。日本人の贈り物文化とは違う文化として注目に値するのではないか?」という感想を持つかもしれない。それはそうかもしれない。しかしどうも素直にカード文化を肯定できないようなところもある。

 アメリカでデイビッド(仮名)という中年の患者さんと会っていた。私が渡米してまだ間もないころのケースである。彼はつい最近妻が自分のもとを去っていったことが大きなトラウマとなっていた。その妻キャロル(仮名)は彼よりずいぶん年下で、数年間は一緒に暮らしたが、最近は若い男性に乗り換えてしまったらしい。彼はそれから仕事に行く気力もうせて、毎日臥せっている生活になってしまったのである。私はちょうどそのころEMDRという治療法を学んでいたということもあり、彼のトラウマに対する治療をこれで行ってみようと思った。私はデイビッドに、彼女との別れを少しずつ回想できるような素材があれば持ってきてほしいと頼んだ。おそらく彼女との思い出のツーショットの写真でも持ってくることを予想していたのである。
次のセッションに彼が持ってきたのは一枚の封筒である。そこには彼女が最後に出ていくときに残したメッセージが書かれているが、一度読んだだけで辛くて閉じてしまったという。それからもう抵抗が生じて、その際の心の痛みのためにもう開けないのだといった。
 そこで最初はEMDRをしながらその封筒を手に取って手書きの「デーヴィッドへ」という直筆のあて名を読めるようになることを目指した。最初はそれに目をやることもためらわれていて彼も、それを見つめることが出来たが、すぐに涙があふれだしてしまったのだ。よほどの心の動揺がそこに見られたのだが、EMDRを施しつつ、少しずつそれを冷静に眺めることが出来るようになっていった。そこで少しずつハードルを上げて行って、彼がそのカードを開き、「敬愛なるあなた、・・・」から始まる文章を少しずつ音読する練習をした。最初はかれは12行で声が詰まって読めなくなってしまっていたが、徐々にそれもクリアーできるようになったのだ。そして徐々に作業が進み、「あなたと一緒にいた月日は私にとってかけがえのないものでした。あなたとの時間を大切に思い出しています…」などの文章を声に出すことが出来るようになった。
 そんなある時デイビッドは私に、「やはりここから先は読めません。ドクター岡野、私の代わりに読んでください。」「わかりました。そうしましょう。」と受け取ってそのカードを目にしたときに私は本当に驚いた。それは既成の、カード売り場で売っている普通のカードだったのである。もちろん「分かれる夫へのメッセージ」というジャンルのカードであるから、それらしきことは書いてある。そしてそれを読むと「これからはあなたと過ごした時間を思い出しつつ、私自身の人生を歩んでいきます。どうぞあなたも私のことを忘れないでください・・・・」などといった、おそらくこのジャンルではどのようなカップルにもおよそ当てはまるような文章が印刷されていた。しかも元妻キャロルの直筆のメッセージなどどこにも書きこまれていなかったのである。しかしこれまでデイビッドが涙で字がかすんで読めなくなると言っていたメッセージが、まさかデパートで売られているような出来合いのカードであるということは私も想像していなかった。「どうだかなー。アメリカという文化…」というつぶやきを私はいつものように漏らしていたのである。