2021年3月10日水曜日

CPTSDのエッセイ 8

 CPTSDのエッセイが全くまとまらない。しかしそろそろ形にしなくてはならない。私は基本的にはこの疾患概念を歓迎する。理由の一つはCPTSDの登場が大きな波紋を呼んでいるということだ。誤解を生む言い方かもしれないが、この概念はある一つのマーケットを作った。CPTSDの特集が組まれる。それに関するさらなる論文が書かれ、リサーチがなされる。自分はCPTSDに該当するのか、という当事者の方々の関心も集めるだろう。そうして人々はこの概念に関連するとされる問題、例えばBPDやトラウマに関する興味や関心を掻き立てたことは間違いない。そして当然ながらCPTSDの賛成派と反対派が形成され、両陣営は活発な議論を交わすことにもなろう。私はこのCPTSDが開拓したマーケットは基本的には有益なものであると考える。それが様々な問題への関心を深め、問われるべき問いを洗い出す限りにおいて意義があると思う。それらを具体的に述べて終わりにしよう。

思いつくものから言えば、

l  長期のトラウマにより引き起こされる精神の障害と言うものの存在がより明らかにされた。

l  ハーマンの言うCPTSDは結局BPDだ、という議論に関する是非がさらに問い直されるきっかけとなった。

l  私はこれから起きることは、あの人もこの人もCPTSDだ、といういわゆるオーバーダイアグノーシス(過剰診断)が起きる可能性がある。

  この過剰診断に関しては、それはいずれは揺り戻しに会い、「何もかもCPTSDというのはいかがなものか?」という議論が生まれることで、CPTSDという診断が下る対象が狭まり、そうすることでこの診断を有する人がよりよく理解され、治療を得られる機会も生まれるのではないか。

このことはちょうど「発達障害」で起きていることである。様々なケース検討の場で思うのは、かなりの頻度で「でもこの方、発達の問題もありそうだね」という意見に出会い、確かにそのことでケースの理解が一歩進む(ような気がする)という実感を体験するということである。そして発達障害について指摘する人たちの中には、「男性はある意味で程度の差こそあれ皆発達の問題がある」という極端な人(私のことであった!)もいて、一部の人々からはひんしゅくを買い、より適切な診断が付けられるようになるだろう。

それにしても、である。このCPTSDの概念がでることで、一部の人が反対していることが、私にはいまいちわからない。PTSDCPTSDは異なる疾患か?という疑問である。でも診断からしてPTSDの患者さんの一部がCPTSDの患者さんである、すなわち前者が後者を含む、ということは明らかではないか?だってPTSDの診断基準にさらにDSOも見られる、条件を加えたものがCPTSDだからだ。ただしこの疑問点を抱く人の気持ちもわからなくもない。曰く「でもPTSD症状が明らかではない慢性トラウマの患者さんもいるのではないか?」そう、特に慢性トラウマの結果として乖離が生じている場合、明らかな形でのPTSD症状が目立たない場合もあろう。だからCPTSDの診断基準としてPTSDをそっくりそのまま取り込んだのは英断ではあっても誤解を招くのではないか、と心配する。私の考えではDIDの方はきわめて多くの場合慢性トラウマに関係しているが、PTSDで目にするフラッシュバックが見られない場合も少なくないからだ。