2021年1月6日水曜日

私が安心した言葉 2

 こんな例を考えてみよう。コンビニで買い物をしていて、商品のことで店員に何かを尋ねてみる。例えば「この商品の色違いのものはありますか?」など。あるいは「この店には〇〇という商品は置いていましたっけ?」でもいい。少なくとも日本の店なら、店員さんはとても丁寧にその質問に答えようとするだろう。それをあなたは特にありがたいとは思わないはずだ。ところがもしあなたが近くにいる客に同じような質問をするとしたら、そのお客さんは怪訝そうな顔で「何この人?私を店員と間違えているわけ?」とても言いたげに、「店員さんにお尋ねになれば?」とつっけんどんな反応をするのが関の山だろう。それがその状況ではごく平均的で当たり前の反応なのだ。(もちろん諸外国では人の反応は、少なくとも表面上は格段フレンドリーになるであろうが。)

もしあなたが社会心理学に関する調査の協力者で、「コンビニで商品のことについて尋ねられた人の反応」を調べるためにそのような問いかけを何度か試みているとしよう。もちろんそのような事情を知らない一般の来店客からはお決まりのよそよそしい反応を受けるであろうが、おそらく何人かに一人、異なった反応をされるであろう。「この人は店員さんに尋ねられない事情があるのかもしれない」と思って親身になって、その色違いの商品を探したり、代わりに店員さんに尋ねに言ったりする人に出会うはずだ。その時あなたはそれが実験状況であったとしても、それをとてもありがたく感じ、おそらくその人の対応を忘れないであろう。そしてそれは一種の驚きの体験になるかもしれないし、何か心に温かいものをもらって、勇気づけられたとさえ感じるかもしれない。

このことはすでにどこかで書いた気がするが、このような文脈で私にとっては忘れられない体験があった。私には米国での滞在の頃からの友達と呼べるドクターMがいるが、彼との体験がそれに相当する。彼とは20年以上前に、私の上司として出会っている。当時の私は米国の滞在を少しでも延ばして米国の労働許可証の取得を有利にするための便宜を図ってはもらえないかと、ある病院の院長にお願いに行ったのだ。ドクターMはそこの若き院長の立場にいたのだ。この時彼とは初対面だったが、普通ならそのような立場の人は職員の面倒な話には耳を貸さないであろうし、私が職場に残れることが彼にとってのメリットになることはそもそもない。私は同様なお願いを他の病院の院長にも持ち掛けて、木で鼻をくくったような態度を取られていた私は、ドクターMからも同様の対応を予想していた。ところがドクターMとの面会を初めて23分以内に、自分が驚きの体験をしていることが分かった。彼は初対面の私の話をじっくり聞いて、なんと一肌脱ごうという気になってくれたのである。「本当に親身になってもらえると人はこんなにインパクトを受けるものだ」というこの時の体験はその後の私の人との話し方を確実に変えた気がする。