2020年8月5日水曜日

ミラーニューロンと解離 11

DIDにおいて頻繁に見られる状況を考えよう。人格ACさんと親しくなる。すると人格Bがその関係を面白くないと思い、Cさんがどうして自分との時間を持ってくれないのか、という要求をする。Cさんは人格Bに対してはAさんに感じられるような親密さを感じられていない。そして人格ABの間には緊張状態が生じる。

このA,B,Cには様々な種類の関係性を代入することができるほどに頻繁に起きる状況である。このケースについて考えてみると、ヤスパースの4要素を一つ一つ検討する必要がないくらいにそれぞれが自己感を有していることが分かる。人格ABは、一緒になることで一つの全体に近づくような「人格部分」なのだろうか?

ヴァンデアハートさんらの文章を思い出そう。

私たちがこの人格部分 parts of personality というタームを選択するのは、それらが一緒になることで一つの全体を形成するのであるが、それらは自意識を持ち、少なくとも未発達な自己の感覚を持つ。しかしすでにうえで示したように、それぞれの人格状態は自己の感覚を十全に持っているようである。

この人格A,Bに当てはまるのは後半の3行でしかない。しかも少なくとも未発達な自己感 at least a rudimentary sense of self というが、Aさんと話す時もBさんと話す時もそれは基本的、どころかかなり明確でぶれることのない考えと感覚と願望と行動パターンを有しているように思われる。それははるかに通常出会う人々から受ける印象に近い。

そもそもDIDの人格に関して未発達な自己感を特徴として挙げるならば、どうして私たちはDIDの人に会っても、それが健常者が演技をしているのではないかという疑いを抱くのであろうか。そこまでに彼らは自然に見え、また実際自然な自己感を持ち合わせるのである。もし彼らが未発達な自己感を有しているとすれば、その人に出会った他者もすぐに感じ取るものではないだろうか。しかもDIDにおいておそらくもっとも内部の事情を知らない基本人格や主人格が普通に社会でふるまっているという事実はこれに矛盾すると考えられる。

ちなみに自我障害については、統合失調症に関するものの研究が見られる。それは ipseity (イプセイティ) disturbance とも呼ばれている。

(以下略)