第1章 脳の揺らぎ (脳波)
の発見の歴史
この第2部では、モノの揺らぎの問題から心の揺らぎの問題へと至る中間地点の、脳の揺らぎの話だ。話は脳波を発見したドイツの神経学者ハンス・ベルガーに遡る。もう100年も
前の話だ。彼は人間の頭皮に電極を付け、きわめて微小な電気活動が起こっていることを発見した。ごくごく小さな電気的な揺らぎの発見である。そして彼は1929年の論文で、「脳波を見る限りは、脳は何も活動を行っていない時にも忙しく活動しているのではないか」という示唆を行った。脳波を見る限り細かいギザギザが常に記録されていたからだ。もしこれがフラットに(一直線に)なってしまったら、それは脳が死んだことを意味するわけだが、彼にとっては脳が常に細かい波形を生み出していることの方が驚きだったのだ。
脳波の発見者 ハンス・ベルガー |
それから世の医学者たちは、脳波が癲癇の際に華々しい波形を示すことに注目したり、睡眠により顕著に変わっていく波形の変化に注目した。しかしそれ以外の時にも絶えずみられる細かい波のことは、あまり注意に止めなかった。
ここで皆さんは雑音ないしはノイズについての議論を思い出すだろう。ノイズはそれが揺らぎとして抽出されるまでは、ごみ扱いされるという運命にあったと述べたが、それは脳波でも同じだったのだ。 ノイズとして扱われていた脳波に実は深い意味が見出されるようになった、という方向に話は進んでいくのだが、もう少し脳波の話をしておく必要がある。
一つ理解しておかなくてはならないのは、ベルガーが脳波の発見により見出したのは、別に一つ一つの脳細胞の信号ではなかったということである。個々の脳細胞がどのような信号を発しているかは、当時は知りようもなかった。しかし確かなのは、神経細胞の大集合を少し離れた頭皮から計測した場合に、そこには小刻みに揺らぐ波が計測されたということである。おそらくそれは一つ一つの神経細胞が発している信号の総体であろうが、それがどのように組みあがり、最終的に脳波という形をとるかは当時はわからなかったし、今でもさほど解明されたとはいえない。でもそれがなぜか揺らいでいたのである。
ここで一つの比喩を用いてみよう。脳波とはたとえば巨大な群集の声を上空の集音マイクから拾っているようなものである。群衆の一人ひとりが何かを言っている。もしそれがまったく統制の取れていない群集であれば、ガヤガヤと声が聞こえているだけで何も意味のある声は拾えないだろう。だから上空まで聞こえてくるのは、かすかなノイズでしかないだろう。
ところが驚くべきことに、上空のマイクが拾うのは、ある種の抑揚、強弱の波、揺らぎなのである。それはワーンワーンワーン…というある種のリズムを形成している。しかもそれはその聴衆全体がどの程度興奮しているのか、あるいはどの程度目を閉じてイメージを思い浮かべているのかにより違う。ある程度興奮しているときは、13~20ヘルツの波(β波)、目を閉じると8~12ヘルツの波(α波)、聴衆全体が元気がない時、眠たそうなときは少し遅い5~8ヘルツの波(θ波)、という風に異なる揺らぎ方をするのだ。どうやら神経細胞は個々にバラバラに声(信号)を発しているのではなく、ある種のレベルのまとまりを持ちつつ、組織だった発声、ちょうどお経のようなものを詠んでいるような信号を出しているらしい、ということになった。
そこでこのお経のようなリズムは神経細胞がたくさん集まることで自然と生まれるのか、それとも個々の細胞の声が集約されているのか。後者の場合には、例えば一人一人が何かを唱えているが、それが何人か集まると大きな声として集約されていくのかという問題になる。
さてその後の研究によれば、脳の神経細胞の一つ一つが、一見何も何も活動をしていないように見える時でも、自発的に電気信号を発しているということが分かっている。そしてそれが脳が消費するエネルギーの7,8割をそれに使っているというのだ。
たとえるならば神経細胞は一つ一つがエンジンのようなものだ。そしてそれらは人間が生きている限り、すべてアイドリングの状態で動き続けているのだ。ギアが入ると、活動的に発火し、他の神経細胞との信号のやり取りをするが、そうしない時でも「エンジンはかかって」いる。だから神経細胞に極小の電極を差したならば、常にそこから電気信号が拾えることになる。ただし大きな信号ではなく、まるでノイズのように低く、小さく活動をしている。そしてこれは○○章で示したように、最初は単なる「雑音」として扱われていたのだ。しかし研究が進むにつれて、それは全くのデタラメではなく、一定のパターンを持っていることが分かってきた。といってもそれはあるきまったパターンではなく、常に形を変えて波形を創り出している、つまり「揺らぎ」ということが明らかになった。
この個々の脳細胞の「揺らぎ」はある意味では死と爆発の間をさまよっているということもできよう。死、とは脳波がフラットになり、神経細胞からは何も動きが見られない状態であり、爆発とはそれが大音量で、周りの細胞を巻き込んでその活動を高めた状態であり、それを発火という。しかしその活動の度を過ぎて癲癇発作を起こすことになる。こうなると神経細胞は消耗をし、アポトーシスという自然死に近い形をとることが知られている。脳細胞は通常はどちらにも偏ることなく、その両極端のあいだをフラフラ揺らぎつつ、本来の活動である「時々発火する」をする準備状態を常に整えているという事だ。